世の中には様々なアイデアがあり、そのアイデアの出し方を教える本があります。それらに不満があるわけではないのですが、このやり方は全然違うというものは実際はないんですね。予定調和というわけでなく、人なのでやり方は大体似通ってくる。
では、なぜ未だにというところで、アイデア出しやアイデア発想本が出てくるか?今までと違う点を強調するのもあるでしょうし、単に自社PRの面もあったりするでしょうし、本が出る意味を考えると色々ありそうです。
そういうのもありつつもやはり改めて発想本などを読むことを辞めてなくてたまに読んでます。そこで発見するのは、当たり前ですが、アイデア出しに対して解像度が高いんですね。高すぎると感じる場合は僕がそのレベルではないわけで、逆に低い場合は実践値などが足りないのかもと感じるというか。
そういうところで、共有すべきは、「このやり方がすごいな」というよりも、「この言葉の解像度が高いな」という点です。つまり、説明ができたり、概念や思考の状態をかなり言語化している人を見ると、「すごいな」と心から思います。
当然自分の場合は、それをトレースしながら「この概念や状態のそんな名前を付けるのか」というところと、付けることで新たな知見や視点を得ているなどもあるわけですから、非常に面白いわけです。
解像度に注目すると様々なものから学びを得られる
もう少し発展させて、解像度が違うことに気づけたらそれは学びのチャンスとなります。つまり、「これ解像度が高いな」と思ったらその表現や視点がそのまま学びになるわけです。
最近見かけたのは十字フレームワークという図解というか、考え方です。これは別に十字になっているのはそれほど意味があるわけではないですので、名前がそうなだけだと。ただ、概念として捉えると、自分が考えてきた具体→抽象のようなものもですが、サービス側とお客さん側の立場移動ができなかったり、どこを考えていいか迷子になるとか。そういったものが一気に説明できる「気」がしたんですね。実際に説明は多分出来るのですが、まだしてないんですけどね。
この時こういった他者の概念も自分に落とし込んでみて、どうなるか。そこで色々言えるなら参考にさせてもらうわけですね。そのまま使うと多分違和感があるのでそうはならないんですが、それを入れつつ考えてみるとまた学びになるというわけですね。
解像度が高いな!は学びになりますが、低いな!は学びにしづらいのでスルーでオッケーだと思います。あえていえば、初学者向けの教え方とか提供コンテンツであれば、目線を下げて話すとか伝える意味ではプロトコルとかチューニング調整というところでは使えると思います。ですが、解像度が上がるわけではないので、まあそこはしょうがないというか。
解像度を上げ、あとは伝え方で概ね調整できる
解像度が高いということは、専門性が高いとかあるってことです。ですが、それだけでは伝えるところは磨かれてないのでそこをどうするかがポイントです。
つまり、伝え方をさらに磨くと、どんな人にも、分かりやすく伝えられるわけですから、これって最強じゃないかと思うんですね。最も誰にでも伝えられる方が良いが正解でもないので、別に伝える必要がないなら、解像度磨きに力をいれればいいのかなと。逆もありますよね。解像度をあげるよりも、伝え方を磨いたほうが良いとかも。
ここでも正解はないので、自分はどうだろうか?を考えていくと、やはり解像度を上げつつも、伝え方を調整していく=磨いていくことで、適切な言葉や伝え方を磨きたいなってベクトルはあります。
最もそれでも誰にも話が通じるわけではないので、伝わらない前提でどう伝えていくか。そこが醍醐味かもしれませんね。