好きとか面白いとかってもう理屈じゃないですか。なので、理屈とか理由とかそういうことを言わなくても出来ると。
だから仕事を好きになれとか、自分を好きになれみたいになると面倒くさくなりますが(笑)そうでなくて、自分が好きなことを大事にしようと。あと、それがなくてもちょっと好きかもくらいでいいのでそれをやろうと。なぜか「好き」っていう定義が渋い=きつい人が多かったり、好きって「簡単」に言わない、「好き警察」みたいな(え、それで好きっていうの!?みたいな)人もいたりで、そこらへんで心萎えちゃうというかですね。
なので、好きだからそれをやる。それでいいじゃないですかって話ですね。面白そうだからやってみる。それでいいじゃないですかと。
そういう他社への余裕というか余地が極端に減ると、なんか真綿で首を絞められるではないですけど、居心地がとても悪いなあと感じるわけですね。
AIが好きということはまずない
感情を乗せることは考えている研究者はゴマンといそうですが、入れられても困るというか。実態は人間がコミュニケーションして「なんか良いやつだな」とかそういう感情はありそうですよね。キャラクタ擬人化とかまさにそうですし。
ここではAIが感情を持たないならば、人は感情を持つと。そういう意味で人ってすごいですよねというところです。
なぜ持つかは防衛本能とか、生存本能とか、だと思いますがまあそこはおいておいて、そういう人らしさを生かしたほうがいいと。だから、AIらしさがあれば人らしさもある。そのらしさを融合したり棲み分けではないですが、うまく使ったほうがいいって考えたいわけです。僕は。
好きとか面白いとかを素直に認める
吹っ切れたわけでもないんですが、明らめたというほうが(明らかに見極めるという意味ですね)近いのですが、自分のやりたいこととかやれる形って多分何度も何度もチャンスがあるんですね。いや正確にはチャンスという分かりやすい、誰もが見てのなにかではなくて。
つまり、自分がやってもいいぞとかやれそうだみたいな、少なくとも自分の視野には入ってきているって感じです。そういうのがあるんですよ、きっと。というか僕にはあると思っているということです。
その時、チャンスの女神の後ろ髪を捕まえるではないですが、えいやと一気にやらないと何事も進まない。少なくとも誰かが勝手にやってくれたり、「あーあの件進めておきましたよ」なんてことは「絶対」ない。あるとしたら、運か、その人の行いが良すぎるからでしょう(笑)そうでない凡人であれば、非凡でないなら起こり得ない。
と考えたほうがいいわけです。俺は私はすごいから勝手になにか出来るなんておこがましいって考えですね。
そこまでいけば「あー面白いからこれやってみるか」とか「あーこれ好きだったなあ」とか、そういうことに対して素直になれるというか。なぜなら、そういう感覚があるってことは、逆にいえば「やれてないから」なんですよね。
自分の感覚を素直に認めてそれを素直に進めているならば、例えば「なんか出来てない」とか「なんかやりたいことがあるんだけどうまく進まないんだよね」とかってあんまないのかなと。
順調でなくてもいいので地味に何か進む感じってことですね。
好きでやってごらんと自分にOKをだす
OKを出して自分がやってもいいんだと言えたり思えたらほぼあとは自動で進む感じです。このOKをだすのが難しいのだろうと考えています。
ですが、AIで時間が浮く人も多いと思っていてそうなる時、時間をどこに投資するか。これはインターネットでもスマートフォンでもなんでもそうで、今までもそうだったんだろうなと。
当然それによってスマホ漫画とかYoutubeをダラダラ見るとかを否定しているわけでなく、それもいいですが、本質的に好きなこととか、楽しいこととかとして、それらは余りにも弱かったりすると。本質的に漫画が好きである人を批判しているわけではなくて、そうであれば明確に違いを述べたり違うといえますからね。最も、教養としての古典的な本を難しい本を読むのが「本質的」かというとそれも違うかもと。
つまり、ここでの本質的とは、自分が本来やりたいこととか、好きなこととか、自分がですね、あなたがという個別具体的な話となると。そういうところを考えないと何も出ないので、時間を費やしているからそれを本質的にやりたいと考えるのはちょっと違うかもしれないなと。そもそも惰性というのか、習慣というのかそれが全てでもないですからね。
ある種自分との対話なんですよね、この本質的って。だから面倒でやりたがらなかったり、あとは本当の自分ってのを理解するのが怖いとすら思う人が多いのではないかと。
ディストピアでなく、ユートピアでもないですが、実践的なAI活用とは、そうやって浮いた時間で自分を考える時間を増やして、まさにタイトルに戻すと、そういう好きなこと、面白いことがありそこで自分を取り戻すとか、まさに原動力になると。
本来仕事も全てのこともそういう感じのはずで、どこから切り離されてしまったんだろうかって感じですよね。そこがめちゃくちゃ大事なのですが、すぐ役に立たないから、実用でないからで切り離していくと、最終的には良くわからない不定形の何かができると。これは怖いわけです。
だからこそ、思考の免疫としての、好きとか面白いとか。他にいえば、なんか気になったこととか、自分がどうしても気になること。どうしようもなくくだらないこととかでもいいんですよね。そういうことが実は表面ではどうでもよさそうで、実はとてつもなく、大事かもしれませんね。