依存と聞くと、誰かに頼ってばかりいる人や、一人では何も決められない人を思い浮かべるかもしれません。
けれど、依存や共依存は、それほど分かりやすい形だけではありません。
いつも人の世話をしている人。
困っている人を見ると、放っておけない人。
頼まれる前から相手の気持ちを考え、先回りして動く人。
周りからは「優しい人」「気が利く人」「責任感のある人」に見えます。
ところが、その優しさの奥に、
「必要とされなくなるのが怖い」
「役に立たなければ、自分には価値がない」
という気持ちが隠れていることがあります。
これも、共依存の一つの形です。
助けることが苦しさに変わるとき
誰かの役に立つことは、決して悪いことではありません。
人に喜んでもらえたらうれしいし、大切な人が困っていれば助けたいと思うのは自然なことです。
けれど、助けることを断れなくなったり、相手の問題まで自分が引き受けたりすると、少しずつ苦しくなっていきます。
頼まれると、疲れていても断れない
相手が困らないように、自分の予定を変える
相手が不機嫌だと、自分が何とかしなければと思う
感謝されないと、悲しさや怒りが湧いてくる
自分がいなくても相手が平気そうだと、寂しくなる
一つひとつは親切に見えます。
しかし、その親切によって自分が疲れ切っているなら、それは「したいからしている」のではなく、「しなければ嫌われる」「必要とされなくなる」という不安に動かされているのかもしれません。
相手への執着だけが、依存ではありません
執着というと、好きな人から離れられないことだと思われがちです。
けれど、私たちは人そのものだけでなく、
「頼られる私」
「必要とされる私」
「何でもやってあげられる私」
という役割にも執着します。
その役割を失うと、自分の価値までなくなったように感じるからです。
だから、相手が自分でできることまで手を出してしまう。
本当は疲れているのに、笑って引き受けてしまう。
そして心のどこかで、「これだけしているのだから、私を大切にしてほしい」と相手に期待します。
ところが、その期待が返ってこないと、苦しさや怒りに変わります。
これが、与える側に隠れている依存です。
優しさと自己犠牲は違います
共依存から抜けることは、冷たい人になることでも、誰も助けない人になることでもありません。
相手を大切にしながら、自分も同じように大切にすることです。
誰かを助ける前に、少しだけ立ち止まってみてください。
「これは、本当に私がしなければならないことだろうか」
「私は、したいからするのか。それとも嫌われたくなくてするのか」
「これを引き受けても、私は穏やかでいられるだろうか」
この三つを自分に聞くだけでも、優しさと自己犠牲の違いが見えてきます。
相手の責任を相手に返すことは、見捨てることではありません。
自分でできる力を、相手から奪わないことでもあります。
自立の先にあるのは、自律です
依存や共依存から抜けるとは、誰にも頼らず、一人で何でもできる人になることではありません。
相手の機嫌や評価ではなく、自分の気持ちと意思で選べるようになることです。
助けるのか、助けないのか。
引き受けるのか、断るのか。
その答えを、相手に嫌われないためではなく、自分で決められること。
それが、自立から自律へ進むということだと思います。
今日、誰かのために動く前に、一度だけ自分に聞いてみてください。
「私は今、愛情で動いているのか。それとも、不安で動いているのか」
その違いに気づくことが、共依存から離れる最初の一歩になります。
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