『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
「メタ認知」という言葉本来の使い方とは違っているかもしれません。
ただ問題を解いている自分を俯瞰で眺める行為には違いなく、ある種のメタ認知と言えるのではないでしょうか。
以前、四谷大塚の模試だったか、与謝野晶子の、
海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家
の短歌の問題が出題されました。
この短歌に関する設問の1つに、結句にある「父母」の読み方を書かせる問題があったんですね。
当然答えは「ちちはは」ですね。
ある生徒さんがこれに✕をもらっていました。見ると解答らんには「ふぼ」と書いてあります。
おそらく短歌の音数のことなど度外視して、「こりゃ簡単だ」とすぐに答えを書いてしまったのでしょう。
でもこういうときこそメタ認知を働かせてほしいと思うんですね。
中学受験に向けて頑張る小学6年生向けのテストなんですよ。
もし「父母」を読ませる問題の答えは「ふぼ」だとしたら、これは受験などとはまるで無縁な小学校低学年向けのテストになってしまいます。
解答らんに"ふぼ"と書きかけて、そこでふと思い直してほしいんです。いくらなんでも「あまりに簡単すぎやしないか?」と。
「俯瞰で見る」「離れて立つ」「メタ認知」…。言葉は何であれ、そういう客観視ができる子とできない子がいると感じます。
目の前の問題を今まさに解きつつ、状況を俯瞰で眺めて冷静にツッコミを入れられるか否か。
1点2点を争う中学受験の世界では、けっこう重要な資質と思えてなりません。