私にご興味を持っていただいた方向けに、もうちょっと詳しい私のプロフィールを書いてみたいと思います。
長くなるといけないので、まずは前編として、私が新卒で社会人になったときから、定年退職するまでのお話です。私の会社員時代ですね。
充実していたエンジニア時代
私はとある私立の工科系大学を卒業して、医療機器メーカーに就職しました。
小さい頃からモノづくりや電気系的なことが好きで、小学生の頃はプラモデル、中学生になってからは、アマチュア無線をやったり、秋葉原で部品を買って真空管ラジオやステレオアンプを作ったりしていました。
就職するときには、「なんでもいいからその会社独自のモノを作っているメーカー」でモノづくりの仕事をしたいということで企業を探していました。
ただ、当時はオイルショックの後で、大学の就職状況もまだまだ厳しいときで、かなり就活は苦戦し、秋になってやっと内定を得たのでした。
その後40歳くらいになるまではエンジニアとして、医療機器の開発に従事しました。
主にロジック回路の設計、組み込み制御のソフトウェアのプログラミングを身に着けました。
コンピュータについては、大学時代に履修した「電子計算機」と非常に相性が悪く、そのトラウマがあったのでできるだけ避けて通りたかったのですが、仕事ですからやらざるを得ず、でもそしたら、そのうちそれが面白くなってきたのです。
ハードの設計よりもソフトを作る方がはるかに多くなり、技術者時代は好きなことに取り組めるとても楽しい時期でした。
その間、伴侶や子供も得て、40代になったとき、転機が訪れます。
開発から人事・総務に「社内転職」
当時は、インターネットの黎明期でした。
企業は自社サイトを作り、連絡手段としてメールが普及し始めた。そんな時期でした。
私の会社でも、ホームページを作ろう、これからの販売促進や求人のためには不可欠であるということで、当時社長直轄の部署であった「社長室」でそのプロジェクトが始まりました。
というとカッコいいのですが、小さな会社でしたので、社長室の部員は若い女性社員一人だけでした。
当時の私は、開発部署ではすでに管理職になっていて現場からは離れていました。
好きだった開発の現場から離れ、仕事で感じる充実感も乏しくなっていて、
モノづくりができないフラストレーションが趣味に出口を求め、趣味でホームページを作ったり、ソフトを作ったりし始めていたのです
そんなとき、私がやりたいことが、開発部以外の部署で転がり込んできたのです。
社長室の彼女から教えてほしいと言われ、ホームページ作りを非公式にサポートすることになりました。
その後、その人は出産を機に退職することになり、社長から後任を誰にするか?と聞かれた彼女は、真っ先に私の名を挙げました。
そういうわけで、私は開発部から社長室に異動することになりました。
当時は、まだ社内に人事部や総務部という明確な組織がなく、経理以外の本社的な機能は「社長室」で担っていました。
後に、社長室は総務部・人事部となり、部員も増えて体制が整ってきました。
今までは技術者として開発部門にいた私は、総務・人事という、全く違う世界に異動。私は転職経験はないのですが、このときはまさに社内ではあるものの本当の意味での「転職」、つまり仕事が変わったという転機だったと思っています。
新卒採用の仕事が面白くて注力
総務・人事の多様な仕事の中でも、気に入って力を入れていたのは新卒採用の仕事でした。
いくつか理由は考えられるのですが、まずは会社説明会や面接で多くの若い人に接することが、刺激もあってとても楽しかったことが基本にあります。
それと、今では当たり前になった就活インターネット媒体を軸とした新卒採用の枠組みをイチから作ることが任されて、自由に創意工夫ができることがとても楽しかったのです。
その仕事は、私が好きだったホームページ作りなどを通して、私が好きだった何かを「作る」欲求も満たしてくれていました。
また、ネットを通して、他社の採用担当者と知り合う機会があったりして、開発時代にはなかった、会社以外の人との接触も徐々に多くなってきました。
新卒以来、転職経験もない私は、実は井の中の蛙だったことにも気づき始めてきたのもこの頃からでした。
と、いうことで思ったより長くなってしまいましたので、私の会社員時代の話はこのへんにしておきたいと思います。
「後編」では、私が定年後にキャリアコンサルタントとして仕事をしようと思い始めた、あるきっかけの出来ごとから書いてみたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました!