なぜこのようなことを急に。
そう不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれど、今の季節
ふと足を止めれば、頬を撫でる柔らかな春の風や、力強く芽吹くもゆる緑。
そして、木々の中に響くとりのさえずり。
歩きながら感じるその季節の移ろいが、なぜか私の記憶を揺さぶり、
あの日々の光景を蘇らせるのです。
リズムの合わなかった場所
今振り返れば、小学校という場所は、当時の私たち親子にとって少しだけリズムの合わない場所だったのかもしれません。
のびのびとした幼稚園時代から一変、
「みんなと一緒」
であることが求められる環境の中、学校生活の中に、少しずつ戸惑いが増えていきました。
夕方、あたりが暗くなり始める頃、決まって響く学校からの電話。
その音があまりに頻繁だったので、日が暮れても鳴らなかった日だけ、
ようやく一日が終わったと、深く息を吐き出せるような毎日でした。
「なぜ、みんなと同じようにできないのか」
「その振る舞いが、周りにも影響を与える」
受話器から流れるその言葉は、
いつしか私の「育て方」への問いへと重なっていきました。
当時は、まだ小さな下の子も共にある毎日。
降りしきる雨の中を、ただ立ち尽すような心地でした。
しつけが、行き届いていないのではないか。
上の子に目が届いていないのでは。
学校からも、身近な家族からも届けられるその「正しさ」に、
私は何に謝っているのかも分からぬまま、ただ静かに頭を下げる日々。
それは、出口の見えない、長い季節でした。
今、もしもかつての私と同じように、冷たい雨の中にいる誰かがいたら。
私たちの歩いたこの道が、その足元を照らす小さなひだまりになれたなら。
専門的な診断を語る立場ではございませんが、当時の私たち親子の歩みが、小さなヒントになればと願っております。
廊下で聴いた、鳥のさえずり
彼は「集中力がない」のではありませんでした。
ただ、世界の解像度があまりにも高すぎたのです。
授業中、目の前のプリントを終えた瞬間、彼の心はもう次の世界へ。
すでに理解したことを繰り返す退屈さに耐えきれず、彼は教室を抜け出し、
廊下で窓の外の自然の微かな呼吸に耳を澄ませていました。
鳥のさえずり、雲の動き、風の匂い。
降り注ぐ光の中に現れる、自然の小さな変化に。
彼はそっと、心を寄せていたのでしょう。
一方で、表現の海に一度潜れば、時の流れさえ忘れてしまう。
工作や絵に向かうとき、チャイムの音さえ届かないほど深く、自分の内側へと沈潜していく。
集中力がなかったのではなく、ただ、彼の目に入るもの、耳に届くものが多すぎた。
「お母さんは、よくやっていますよ」
当時、何が正解かも分からぬまま、手探りで過ごしていた日々の中で、たった一人、私たちの心の傘になってくれた小児科の先生との出逢いがありました。
「お母さんは、本当によくやっていますよ。
自分を責める前に、目の前にいるこの子にしかないよさを、たくさん見つけてあげてください」
「正しさ」という物差しで測られ続けていた私達に、小児科の先生は別の光を当ててくれました。
小学校という枠に収まらないことは、決して「悪」ではない。
小児科の先生の一言があったから、私は迷うことなく、
「この子が、この子らしく生きるには」
その願いだけを胸に、息子と手を繋ぎ続けることができました。
あんなときもあったね、と
あれから、長い季節が巡りました。
教室を抜け出し、一人、廊下で自然の呼吸に耳を澄ませていた
あの静かな時間。
ただ、そこにある光や風を感じていた、あの柔らかなまなざし。
鋭敏なセンサーと寝食を忘れるほどの没頭力。
それは今、
緻密なデジタルの世界に鮮やかな命を吹き込む、
彼だけの自由な『翼』になっています。
今は親元を離れ、それぞれの場所で日々を重ねている私たち。
たまに顔を合わせ、並んで歩く道すがら、
彼はふと足を止めてスマホを取り出します。
目の前に広がる街路樹に目を向けて、「きれいな緑だね」と目を細め、
吸い込まれるような爽やかな青空を見上げては、「きれいな空だね」と呟く。
その手元に収められた、生き生きとした緑や澄み渡る空の写真を、私の方へ向けて見せてくれる。
あの日、孤独な廊下で一人じっと見つめていた光景が、今も変わらず彼の感性の中に息づいているのを感じます。
私の指に添えられていたあの小さな手は、
いつの間にか、
私よりもずっと高い視線で前を見つめ、
自分の足で人生を歩んでいる彼の背中。
あの日々を重ねて、
「あんなときもあったね」と心の中で静かに微笑むことがあります。
あの頃があったからこそ、
今、
一緒に見上げる空の鮮やかさが、これほどまでに深く胸に染み入るのかもしれません。
小学校、中学、高校へと続く道のりには、光が届きにくい場所や、
立ち止まらざるを得ない瞬間もとてもたくさんありました。
あの日々の記憶もまた、
今の彼へと続く大切な道しるべ。
光のほうへ
冬は、必ず春へと繋がっています。
必死に守り抜いたその花が、
ふさわしい場所で、鮮やかに咲き誇る日。
そんな光差す日が、
きっと、どこかで待っています。