評価技術の重要性

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評価技術は、私たち人間社会にとって極めて重要なものです。これは、工業的な分野に限らず、社会的な分野や人間関係等においても成り立ちます。
昨今、評価技術の重要性を考えさせられる事件・事故が多発しているように思います。それは裏を返せば、私たちの評価技術を身に付ける能力が、低下してきていることを感じずにはいられません。

評価技術において最も重要な要件は、客観性です。客観的でない評価は、本来、社会的に認知されません。 
工業分野に限って見れば、これは当然のことです。しかも、以前は日本社会においてのみ客観性が保たれていればよい場合もありましたが、最近は国際社会において客観性を保証する必要性が高まってきました。

工業分野においては、客観的な評価技術は当然のことと考えられてきましたが、近年、この常識を覆す事件・事故が多発しています。 
エアバッグ問題で、タカタ株式会社が経営破綻したことは、まだ記憶に新しいことでしょう。しかも、その原因となったエアバッグの異常破裂によるリコールは、問題が発覚して15年以上が経過した今もなお続いているのです。

タカタに限らず、評価技術に重大な問題を抱えている企業は、未だに多く存在していることでしょう。それらの企業は、とにかく真摯に評価技術を磨くしかありません。 
しかし幸いなことに、工業分野に関しては客観性という明確な基準があります。その客観性を保証する様々な規格や評価方法が存在しているため、とにかく寸暇を惜しまず評価を徹底すればよいのです。

その結果出された工業製品に不具合が生じたとしても、それは評価技術が未熟だったためであり、ある意味止むを得ないことなのです。 
技術を尽くしても防げなかったことであれば、私たちは声を荒らげて糾弾することはないでしょう。

問題なのは、本来客観的であるはずの評価技術に主観を持ち込むことなのです。データの捏造や不具合の隠蔽などは、その最たる例です。 
企業がこのような対応を取るからこそ、私たちは追及するのであり、それは評価の未熟さを責めるのではなく、評価の客観性を蔑ろにする身勝手で主観的な行為を責めるのです。

さて、評価技術の重要性は工業分野のみに限りません。例えば、企業における人事考課なども評価技術の一例です。日本企業の多くに能力主義が導入されて久しいですが、はたして能力評価が客観的に行なわれているか、はなはだ疑問です。 
多くは上司の主観的な判断が、考課の重要な要素になっているのではないでしょうか。

客観的な人事考課がなされているかどうかは、私たち投資家の関心事項でもあります。要領がいいだけの人間がどんどん出世するような企業に未来はありません。 
自分に都合のいい人間ばかりを配した経営がどのようになるのかは、例えば日産のドタバタ劇などを見ていれば分かるというものです。

教育問題や虐待問題にしても、評価技術が不十分であると言わざるを得ないでしょう。本来、教師を評価するべき校長や教育委員会が客観的な評価を怠り、社会問題に発展する事例があまりにも多過ぎます。 
また、評価技術が欠如した社会福祉事務所による虐待の見逃しなども、未だに大きな問題となっています。

これらの問題の対策としていつも言われるのが「注意喚起」ですが、これなどは主観的な精神論でしかありません。客観的な評価技術をきちんと整備し、全国何処でもブレの少ない明確な対策の確立を急ぐ必要があります。 
そのポイントは客観性であり、主観的な評価基準を不用意に取り入れるくらいなら、むしろ何もしない方が良いとさえ思えてしまいます。

客観的な評価技術が求められるのは、何も企業や公的機関だけではありません。私たち個人レベルでも、その重要性は年々増してきています。 
最近は様々な新手の詐欺事件が増えています。オレオレ詐欺は元より、架空請求詐欺や送り付け商法、押し買いなど、枚挙に暇がないでしょう。

騙される方が悪いのではありません。騙す方が100%悪いことは明らかです。しかし、今後の用心のために、私たちも最低限の評価技術を身に付ける努力を行なうべきでしょう。 
今さらと思われるかも知れません。ただ、たった一つだけ、今まで経験したことのないような話を持ちかけられたら、信頼できる身内か、身内がいない場合は専門の公的機関などに、一言相談するだけでよいのです。

何事もその場で決めないこと。これだけで、詐欺に会う可能性は随分と減るのではないでしょうか。 
全てを自分で評価する必要はないのです。自分で評価技術を持てない人は、信頼できる人の評価技術を借りればいいのです。

どんな事例でも、一刻を争ってお金を工面しなければならないということはありません。そのようなことを強要されるとしたら、それを要求する人はどんなにもっともらしいことを言ったとしても詐欺師です。 

仮に身内から借金や保証人をお願いされたとしても、一呼吸置くくらいの気持ちでいたいものです。ちなみに、連帯保証人という制度は国家保証の付いた詐欺のようなものではないかと考えます。身内や親しい知人から頼まれたとしても、断固拒否するべきです。

まだ現役バリバリの世代の人は、評価技術くらい持ち合わせている、と思われるかもしれません。しかし、過信は禁物です。 
評価技術は客観的でなければなりません。知らず知らずのうちに、主観的な評価に変わってはいないでしょうか。私たちが客観性を失った時、そこに詐欺師等が入り込む余地が生じるのです。

評価技術はどちらかと言えば日陰的な存在かもしれません。しかし、評価技術なしには何事も成し得ないのです。 
モノを作るためには、寸法を測ったりするでしょう。例えば、目で見て出来栄えを確かめることも、立派な評価なのです。あるいは、芸術は主観的というかもしれません。しかしそれとて、年月の果てには客観的な評価が下されるのです。

株式トレードにおいても、評価技術は最重要項目です。 
自分の投資手法を省みずに、行き当たりばったりの直感売買ばかりを繰り返していると、大変なことになるかもしれません。

最後に、新型コロナウイルスに感染しているかどうかを調べるPCR検査もまた、立派な評価です。この場合、検査そのものの精度はある意味問題ではありません。それは単に評価技術がまだ未熟である、ということに過ぎず、ある程度はやむを得ないことです。 

それよりも、恣意的に検査数を絞っていることの方が、はるかに問題なのです。本来客観的でなければならない評価が、主観によってその前提を歪められています。それが「正しく評価する」ことから逸脱していることは明らかです。 

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