パウロはブロガー、アポロはYouTuber

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世の中には、おもに書くのが得意な人と、話すのが得意な人といる気がします。私はどちらかといえば前者であり、話すのは苦手です。書くのはこうやって、書いたり消したりしながら、何度でも推敲できます。話すのはそういうわけに行きません。私は教員としては失敗しました。生徒が「パッ」となめるようなことを言ったときに「サッ」と返すことができなかったのです。その瞬発力のない人間には、教師は向いていません。その代わり、書くことはある程度、できるのです。途中で話をさえぎられないならば、私は場合によっては「おもしろい話」をすることができたりもするのです。

新約聖書に出て来るパウロの手紙で、パウロ自身が「『パウロの手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者がいるからです」と言っている場面があります(コリントの信徒への手紙二10章10節)。パウロは、新約聖書からうかがえる限り、書くのが得意な人です。パウロの書いた手紙が(偽作と言われているものも含めてですが)13通、聖書に収録されており、これは新約聖書全体のページ数からして4分の1くらいになります。いっぽうで、パウロが演説で失敗する場面が新約聖書の使徒言行録に書かれています(アテネにおいて。17章16節以下)。どうもパウロの「話下手」はほんとうらしいです。

一方で、アポロという人が新約聖書に出て来ます。パウロに比べるとだいぶ知名度が落ちる気がしますが、その理由はだんだん書きますね。パウロのコリントの信徒への手紙一のなかに、「ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば」というような記述があります(3章4節)。この手紙からすると、アポロという人は、パウロやケファ(ペトロ)と同程度に影響力の強い伝道者であったことがうかがえます。そして、アポロは「雄弁家」と書かれています(使徒言行録18章24節)。そして、アポロが書いた手紙は、聖書に1通も採用されていないのです!これは、アポロが手紙を書かなかったということではあるまいと思います。おそらく大した手紙ではなかったのではなかろうか。アポロは、パウロとは対照的に、話すことが得意で、書くことはそれほど得意ではなかったということではないでしょうか。

現代であれば、パウロはブロガーになっていて、アポロはYouTuberになっている気がします。当時はYouTubeがなかった関係で、パウロの手紙だけが残り、アポロの知名度がパウロよりだいぶ落ちる形になっていますが、そんなことを思いながら私は聖書を読んだりしています。私はパウロタイプなのです。「パウロのように偉大」だと言いたいわけではありません。話すのより書くほうが得意だという意味です。
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