【何も無い足元を見る必要はない】

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日常的スピリチュアル、安田です。
長期視点
時代の先を見ていると
浮いている状態になるので
他の人、周りの人から
「足元を見ろ!」と
批判されます。
ただ、足元を見ても
何も無ければ
見る意味がないのです。
大抵の人の足元というのは
大したものが無いし
何も無いのです。
何も無いので、先を見て
足元にするのです。
現実というのは
過去の原因の結果なのです。
その結果を
今さら嘆いても
仕方がないので
先を見て
原因をつくればいいのです。
原因は、今できることに
最善を尽くすことで
つくることができますが
結果を実らせるのは
未来なのです。
今、投入したことが
今すぐ実ればいいのですが
この世はそのようになっていません。
結果を実らせるには
原因が必要なのですが
その原因は
投入することで
つくることができます。
結果というのは
いつ実るのかが
分からないのです。
都合よく実ってほしいのですが
結果には、結果の都合があります。
その結果の都合というのは
霊的世界の都合でもあるのです。
霊的な協助というのは
順番があります。
皆が一斉に
結果を出せるという
ことではないのです。
誰か一人を
一点突破させるために
集中した霊的な協助が
成されていくのです。
同時多発的に
協助される場合もありますが
新しいテクノロジーや
技術の場合は
一点突破されてから
全面に展開されていくのです。
なので
最善を尽くしていても
結果が実らなくても
落ち込まなくていいのです。
コントロールができないことに
落ち込んだり、嘆く必要はありません。
完全完璧の歩みは
できていなくても
最善を尽くしていれば
何の問題もありません。
結果というのは
霊的世界の都合でもあるのです。
その霊的世界の都合は
原理原則的な都合なので
私たちには
どうすることもできないのです。
霊的な協助によって
足元に結果が与えられます。
その協助が成されるまでは
ひたすら忍耐するしかないのです。
最善を尽くし続けることで
忍耐力を身につけることができ
強化させることができるのです。
私たちは
未来に向かって
歩んでいます。
未来に向かうことで
希望と可能性を
感じることができるのです。
何も無い足元を見ても
希望と可能性を
感じることはできません。
嘘でも、ハッタリでも
未来に希望や可能性を
感じることができれば
希望や可能性を
引き寄せることが
できるのです。
足元や現実というのは
最善を尽くすために
見ることであって
何も無いことに
落ち込むために
見るのではありません。
今の環境、状況の中で
最善を尽くすことが
できていれば
何の問題もないし
心配もないのです。
どんな環境でも
最善を尽くせるし
投入することができます。
投入することで
真空状態をつくることができ
その真空は
自然に埋まるように
なっています。
いつ埋まるのかは
分からないので
期待を手放していきながら
ひたすら投入していけばいいのです。
大抵は期待通りには
事は成されていきません。
どんなに最善を尽くしても
霊的世界の都合があり
原理原則的な都合があるので
忍耐しながら待っていてください。
どんな歩みであっても
最善を尽くしたことは
無駄にはならないので
未来に希望を抱きながら
歩み続けてください。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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