【心情と感情の違い】
記事
学び
安田です。
心情も、感情も
どちらも感じる境地なのですが
心情的というと
良い印象であり
感情的というと
あまり良い印象ではありません。
心情というのは
理想的な思いであり
感情というのは
本能的な思いになります。
心情というのは
与えたいという
衝動であり
感情というのは
受けたい、得たいという
思いでもあります。
感情が満たされていけば
心情が芽生えてきて
心情的な歩み
生き方ができます。
感情が満たされた境地とは
「もうこれ以上受け身ではいられない」
という境地のことをいいます。
受け身でいられなくなることで
自然に奉仕をしたくなり
与えたい衝動になっていくのです。
心情というのは
理想論、きれいごとの
状態なのですが
人の本来の衝動でも
あるのです。
健全な成長段階を
経ていければ
誰でも心情的な歩み
生き方ができるのです。
ですが、現実は
心情的というよりは
感情的な歩み、生き方に
なってしまっています。
誰が悪いということではなく
何かが満たされていないのです。
なので
常に受け身でいようとするし
主体的に歩めないのです。
主体性というのは
誰でも持っている性質なのです。
内向的であるか
外向的にあるかに関係なく
主体性は誰でも
持っていて
主体的に歩みたいし
生きたいのです。
感情というのは
モノでは満たされません。
どんなに多くのモノを
持っていたとしても
感情は満たされないのです。
なぜならモノは
飽きるからです。
子どもが遊び道具に
飽きていくように
成長することによって
飽きてくるのです。
モノで感情を
満たそうとすると
より空しくなります。
感情を満たすには
学びに目覚めることで
満たすことができます。
学びというのは
究極の贅沢なのです。
そしてどんなに学んでも
全ての知識を知ることはできないので
どこまでも学び続けることができます。
勉強熱心な人というのは
単に感情を満たしているのであり
その感情が満たされた状態で
アウトプットをしているのです。
今の時代が
最も恵まれているのは
いくらでも学べる環境が
整っているからなのです。
学び切れないくらいの
知識や情報が溢れているので
いくらでも感情を
満たすことができるのです。
今の時代に学びに
目覚めることができないと
感情を満たすことができないので
心情的な境地に至ることが
できなくなります。
主体的に情報発信が
できる人は
自分が感情的に
満たされているからです。
情報発信は、義務感では
続けることはできません。
どんな旬の媒体であっても
感情が満たされた状態でなければ
主体的な歩みは
できないのです。
学びに目覚め
徹底的な学びが
できるようになれば
感情が満たされていくので
自然に心情的な歩みが
できるようになります。
そして心情的な歩みの味を占めてしまうと
いくらでも与えたくなり
いくらでも投入したくなってしまうので
抑えがたい衝動によって
理想的な歩み、生き方が
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌