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【課題発見能力】

日常的スピリチュアル、安田です。 「課題発見」というと ネガティブな面ばかりを 見るような印象がありますが 課題を発見することで 答えを見い出すことができるのです。 課題がないというのは 同時に答えがないことであり 答えがないというのは そこから発展して いかないということです。 いつの時代でも 課題があったのですが その課題によって 発展をもたらしてきたのです。 課題があっても 発見できなければ 答えを見い出すことも 解決もできません。 時代が成熟することで 課題の発見が しにくくなっています。 マイナスのような時代では 課題ばかりが見えているので 発見しやすいのですが プラスマイナスゼロ プラスを積み上げている時代は 課題の発見がしにくいのです。 かといって 完全完璧とは思えないので 課題があることは 分かっているのです。 課題の発見には 軸と基準が必要なのです。 何を軸にして 何を基準にするかで 課題が見えてくるのです。 今の時代は、過去の時代の 延長線上の見解では 未来が見えないのです。 本来の基準を軸にして 本来あるべき姿から 見ていくことで 現実の課題を 明確にできるのです。 課題というのは 言語化によって 明確にすることができます。 課題があるとなると 居心地の悪さを感じるので 曖昧にしたくなるのですが 明確にしなければ 答えを見い出すこと 解決することはできないのです。 課題の答え、解決には 時間がかかることもあります。 一気に明確にして 一気に解決したいのですが 成長段階に応じて 解決ができるのです。 課題というのは 成長するために 与えられています。 一見、
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【地道に続けられる強み】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの歩みは 地道に続けることしか できないのです。 どんなことを成していくにも 一朝一夕には成せないので 地道に続けていくことで 着実な歩みができます。 どんな人にも 自分の強みを 持っていますが 地道に続けられることが 強みなのです。 強みを活かすことで 個性の発揮 才能、能力の発揮 使命の全うができます。 自分の強みが 分からない人は 何が続けられるのかを 自己分析してみてください。 続けていても 苦痛に感じないことが 強みを見つける ヒントになります。 今の時代は 自分で決めて 努力をすることが 求められているので 義務、強制では 歩めないのです。 集中し、投入することで 強みを活かすことができ 貢献する歩みができます。 地道に歩み続けるというのは 理屈的には簡単なのですが 私たちの感情は 朝夕に変わりやすいので 感情の影響によって 地道な歩みができなくなります。 成長というのは 地道な歩みを続けないと できないのです。 成長段階というのは 省略することも ワープすることも できないのです。 なので 地道に歩み続けることしか できないのです。 このことを悟れないと 積み上げる努力を 続けることができなくなります。 テクノロジーの発達によって 効率よく歩むことはできますが 努力自体の効率化はできないのです。 効率よく歩めるように なったのであれば より投入していかないと 努力をしていることには ならないということです。 どんなに時代が進んでも 投入する歩みをして 真空をつくることで 自然に埋まるという 原則は変わりません。 効率よく歩め
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【心情と感情の違い】

安田です。 心情も、感情も どちらも感じる境地なのですが 心情的というと 良い印象であり 感情的というと あまり良い印象ではありません。 心情というのは 理想的な思いであり 感情というのは 本能的な思いになります。 心情というのは 与えたいという 衝動であり 感情というのは 受けたい、得たいという 思いでもあります。 感情が満たされていけば 心情が芽生えてきて 心情的な歩み 生き方ができます。 感情が満たされた境地とは 「もうこれ以上受け身ではいられない」 という境地のことをいいます。 受け身でいられなくなることで 自然に奉仕をしたくなり 与えたい衝動になっていくのです。 心情というのは 理想論、きれいごとの 状態なのですが 人の本来の衝動でも あるのです。 健全な成長段階を 経ていければ 誰でも心情的な歩み 生き方ができるのです。 ですが、現実は 心情的というよりは 感情的な歩み、生き方に なってしまっています。 誰が悪いということではなく 何かが満たされていないのです。 なので 常に受け身でいようとするし 主体的に歩めないのです。 主体性というのは 誰でも持っている性質なのです。 内向的であるか 外向的にあるかに関係なく 主体性は誰でも 持っていて 主体的に歩みたいし 生きたいのです。 感情というのは モノでは満たされません。 どんなに多くのモノを 持っていたとしても 感情は満たされないのです。 なぜならモノは 飽きるからです。 子どもが遊び道具に 飽きていくように 成長することによって 飽きてくるのです。
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