【導かれて学んでいるので無駄にはならない】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

私たちが学べることは
導かれて学べるように
なっているのです。
意図的に決めたことでも
何気なく適当に決めて
学んだことでも
無駄にはならないのです。
無駄か、無駄ではないかを
基準にしてしまうと
努力ができなくなるのです。
どんな努力でも
無駄にすることは
できないようになっています。
たとえ、遠回りするような
ことであったとしても
無駄にはならないのです。
無駄にならないことを
漠然とでも信じることで
どんな努力でもできるのです。
私たちは現実の環境の中で
導かれたことしか出来ないのです。
意図的に環境を
変えることができても
そう大きく変えることは
できないのです。
現実の環境の中で
最善を尽くすこと
しかできないことに
もどかしさを感じるのですが
私たちの歩みは
全てに連結されています。
なので、目の前のことに
集中し、投入することが
必要なのです。
どんなに最善を尽くしたとしても
宇宙規模、地球規模から見たら
大したことはできないのです。
基準高く歩むことができても
小さなコマを、ちょっと動かして
いるようなことなのです。
ですが、この小さな歩みが
全体に影響を及ぼしているのです。
そして、小さな歩みを
続けていくことで
より影響を与えることが
できるようになるのです。
努力というのは
損得ですることではなく
成長するためにすることなのです。
損得ばかりを
考えてしまうと
何もできなくなります。
成長する歩みをするには
経験、体験の積み重ねが
必要なので
経験、体験ができるように
導かれていくのです。
成長するのに
何が必要であるのかは
自分でも分からないので
願った覚えがないことが
与えられることがあるのです。
導きというのは
見えない境地によって
導かれていくのですが
その見えない境地からの
導きというのは
必要なことを与えてくれます。
成長に必要なことを
与えてくれるので
自分の願いと
一致しないことが
与えられることがあります。
私たちの努力は
自力で出来るのですが
努力ができる環境は
他力によって
導かれていくのです。
実際は
ほとんどのことは
他力なのです。
他力によって
導かれていることを
感じることができれば
無駄な努力はできないことを
感じることができるのです。
そして、自分一人の努力で
成し遂げたという考えを
持つことができなくなります。
私たちにできることは
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動なのですが
何をするにしても
最善を尽くしてください。
毎日のルーティンにしても
惰性的には歩まないでください。
同じことを繰り返していると
マンネリ化し、新鮮さを
失ってしまうのですが
より投入する意識で歩むことで
最善を尽くす歩みができます。
マンネリ化や惰性さは
早く気づくことで
抜け出すことができるのです。
同じようなことを
繰り返していても
全ての瞬間は
最初で最後なのです。
なので
流された歩みを
してはいけないし
確実に積み上げる歩みから
成長につながる努力ができるのです。
どんな経験でも、体験でも
無駄になることはないので
与えられた環境の中で
投入することだけを
考えていけばいいのです。
導かれていることを
感じることで
目の前のことに
最善を尽くすことが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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