いまの私を作る、むかしの話。

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コラム
こんにちは、創作応援クリエイターのしゃちゃーんです。
最近ではありがたいことに
「キラキラしたお姉さん」なんて言っていただけることも増えましたが、
実は私のこれまでの道のりは、
決して輝かしいものばかりではありませんでした…
…私のことをよくご存知の方はこの自己肯定感の低さを知ってると思うので
「そうでしょうねぇ」と言ってくれそうですが…w

今日は、今の私を作っている「むかしの話」を少しだけさせてください。

「何にもできない」劣等生だったあの日

私は2月生まれということもあってか、小さい頃からずっと劣等生でした。
小さい頃の早生まれって致命的😭
自分の想いを言葉にできず、挨拶すら怖くてできないような引っ込み思案。
さらに追い打ちをかけたのが、ひどいアレルギー体質だったことです。
肌に赤いブツブツがあって、
周りからは「気持ち悪い」「うつるから近寄るな」
なんて…心無い言葉をかけられる毎日。
(ここAIと相談しながら「言い方強すぎるから『肌トラブルが絶えない』とかにしとく?」って言われたけど、全身包帯ミイラ状態で過ごしてたことを思い返すと、そんな生やさしい表現されてたまるかと思って…このまま載せさせてもらいます。)

運動会や体育の時間も、どれだけ頑張っても浴びせられるのは罵声ばかり。
「頑張れ」と言ってくれる人もいたけれど、
当時の私は…感覚が捻くれてしまっていたんでしょうね…
「言う方は楽でいいよね、励ました気になって」なんて、
応援すら真っ直ぐ受け取れないほど心がすり減っていました。

居場所を失った中学時代

両親と妹…家族には恵まれていて、家の中はとても温かい環境でした。
でも一歩外に出れば、幼稚園、小学校、中学校とずっと「いじめ」が日常的に付いてまわりました。

中学3年生になる直前。
部活で、つい正論を口にしてしまったことがきっかけで
「先輩の前でだけいい顔をしている」と言いがかりをされ、
部活仲間からはハブ、カースト上位の生徒からは理由のない罵倒、
学校に行けなくなってしまいました。不登校。
後になって考えると…なんだよそれ…と思うような言いがかりばかりだったな…

当然、内申点も足りなくなり、
家族が勧めてくれた志望校は受験すら叶いませんでした。

「失敗」が連れてきてくれた場所

でも、いま振り返ると、その「挫折」が私を救ってくれたんです。
第一志望に行けず、やむを得ず選んだ高校。
その場所が、思いがけず私にピッタリの場所でした。
(思い返すと、あの時、親が高校選びを私よりも真剣にしてくれていた気がします。きっと母親はたくさんたくさん見てくれてたし、忙しかった父も学校の特色や学習内容をガッツリ把握していたので…)

そこは、私の過去を誰も知らない、全く新しい世界でした。
「1からスタートできる」
その解放感が、今の私へと繋がる大きな一歩になった気がします。

それでも、いまを生きている

もちろん、その後も山あり谷ありでしたが……。
不登校だったあの日からは想像できないくらい、
いまの私は楽しい環境に囲まれています。

東京とは全く違う、新潟の穏やかな空気の中で、
大好きな旦那さんと2人の娘に囲まれ、
「誰かの力になりたい」と走り抜ける毎日。

あの頃の「自分なんて」と思っていた私に言ってあげたいです。
「大丈夫、ちゃんと楽しい未来が待ってるよ」って。

続きは、また気が向いた時にお話ししますね。🌷
最後まで読んでくれてありがとうございます!
創作応援クリエイターのしゃちゃーんでした!
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