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屁負比丘尼になろう。

 江戸時代に「屁負比丘尼(へおいびくに)」という仕事があったそうです。お姫様にいつもお供をして、お姫様がオナラをした時に、「オナラをしたのは私でございます」と名乗り出るという役職だそうです。 なるほどと思いました。私も職場やその他の集まりで万一誰かがやってしまったら、名乗り出てやろうと思いました。これはオナラだけに限らず、いろいろな事に応用できそうです。会社や組織ではたとえ部下や、後輩が起こしたミスでも上司や先輩が責任を取るということは当たり前の事です。末端の現場で不祥事やミスがあっても、最終責任として社長が辞任するという事が日本では潔しとされるところがあります。  屁負比丘尼の話にはオチがありまして、よく考えてみるとお姫様の横にはいつも屁負比丘尼がいて、みんながその事を知っています。ですから「今のオナラは私がしました」と言っても実はお姫様がしたのだとみんなが思っています。屁負比丘尼がオナラをしたときも、「今のオナラは私がしました」と言いますが、他の人は本当はお姫様がしたのだと思ってしまいます。 ※ 出典 中谷彰浩 著作 「40代でしなければならない50のこと」(2004年 ダイヤモンド社)上記のような面白い話がたくさん載っています。40代でない方が読んでも面白いです。
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人の目が気になる人集合!

 以前購入した中谷彰宏さんの「明日はもっとうまくいく」(PHP文庫)という本を読み返しました。中谷さんの本は読みやすくすぐに読み終えてしまうので、逆にゆっくりと少しずつ読むようにしています。 その中に「人に嫌われることを恐れる」という件(くだり)がありました。私は小さい頃特にそういった意識が強かったです。めったに反対意見を言わない子どもでした。みんなに好かれようとしていました。人が自分のことを話しているととても気になりました。  たぶん、自分に自信のない人はこういう傾向があるかと思います。しかし、大人になっていく過程で、人の目を気にしないですむようになりました。いくつかの辛いこと、厳しいこと、修羅場をくぐりぬけてきた過程で、そんなことはどうでもいいことと気付きました。  人の目を気にしないで生きるのは、とても楽です。自分の思った意見を言えることはとても嬉しいです。ある人にとっては耳の痛いことも言いいます。こんなことを言ったら嫌われないかとか、何て思うだろうかとかは考えなくなりました。  自分勝手ではなく、その方が良い結果になるだろうという前提があるので、自信を持って反対意見も言えるのです。 不思議と、そういう事を言うようになってから、人がついてきたり、集まってきたり、評価していただくことが多くなってきました。 私自身も、私に賛成意見しか言わない人よりも、私と反対意見を言う人や、私にとって耳の痛いことを言う人の方が、信頼を置けるような気もします。 辛いこと、厳しいこと、修羅場がきたら、人生が楽しくなる前ぶれです。
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