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【無料】保育園、幼稚園、学校の行事に「比較」や「競争」を加えることに対して思うこと

前回の記事関連・過去記事「行事」というものは、「楽しいもの」というイメージもありますが、 「習慣化」し「義務的」にやっているものも少なくありません最近私は、中学生の体育祭を見る機会がありましたが、行進をさせ、 どのチームが一番腕を上げれていたか、きれいだったかを来賓に決めてもらい、競わせるようなことをしていました 正直意味が分かりません。言葉通りの意味です。本当に何の目的があって行っているのか分からないのです 「競わせること」で「力をつける」ことはできます しかし、それは現代の子育ての在り方とあまりにもかけ離れているように感じます 例えがあるなら「カブトムシ同士を無理やり戦わせていること」に近いのではないでしょうか 運動会という無理やり行われる行事の中で、指示者の元、自分の意志でないことで競わせる様相はまさにそれでしょう こういう行事を行う時に大人が忘れてはいけないのは、 子ども達の意見を聞いて反映されているのかどうか、という点です 「競いたいのか」 「どんなことをしたいのか」 「そもそもやりたいのか」 等です。もし聞いていて、子ども達の意志でやっているのだったら私のリサーチ不足ですし、謝罪します でも、そんな競争や、比較を平然と導入しているところでは、きっとそんなことはしていないとあえて断定します 「競走」、「比較」というものをスポーツや行事に加えることで、そのものの「本当の楽しさ」、「魅力」をなくしているとさえ思っています そして子どもは、「嫌な記憶」しか残さないのです 少なくとも、今大人になった私が振り返り、それらの行事が楽しかったといわれると、あまりいい記憶が残っていま
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数年前に得た教訓「愛は競争じゃない(笑)」

数年前に得た教訓です。さっき、また私にメッセージとして入ってきた言葉になります。実は私はもともと競争心や闘争心が強い気質を持っていました。しかし、いじめやパワハラなど様々な人間関係を経験すること、理不尽な経験を沢山味わったことで、自分の闘争心や競争心などもいい意味で薄れていきました。※いじめやパワハラなど理不尽と思われる出来事は自分自身の至らなさが原因で起こってしまったこともあります。そして、最近また改めて愛は競争じゃないなと思いました。過去に得た教訓でしたが、なぜ今となってこのことを思い出したかはわかりません(笑)愛は比較するものではないというワードが入ってきました。現代社会や現実社会を生きていると、つい誰かと比較しようとする人が周囲に出てきたり、いつの間にか自分も誰かと比較したりなってしまったりします。どうしてかわかりませんが、これまでの理不尽な体験や辛い体験はそんな「競争のマトリックス、次元」から抜け出させてくれたように今となっては思います。辛い体験も役に立つことがありますね。辛い体験からは時に自分に精神的なダメージを受けることもありますが、そのダメージによって何故か不要な思い込みや概念を手放す「祓い」のようなことをしてくれます。とある人は「自我からの解放」と呼ぶ方もいます。この「自我からの解放」を起こすために様々な理不尽な体験や出来事が起こったのかもしれません。そう思うとそういった酷いと思われる体験も悪くないですね。ちゃんと意味があって起こっている訳ですから。愛だけではなくて、本当は他のこと(恋愛・仕事・お金など様々なこと)に関しても本来は競争ではないような気がします。
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