数年前に得た教訓です。
さっき、また私にメッセージとして入ってきた言葉になります。
実は私はもともと競争心や闘争心が強い気質を持っていました。
しかし、いじめやパワハラなど様々な人間関係を経験すること、理不尽な経験を沢山味わったことで、自分の闘争心や競争心などもいい意味で薄れていきました。
※いじめやパワハラなど理不尽と思われる出来事は自分自身の至らなさが原因で起こってしまったこともあります。
そして、最近また改めて愛は競争じゃないなと思いました。
過去に得た教訓でしたが、なぜ今となってこのことを思い出したかはわかりません(笑)
愛は比較するものではないというワードが入ってきました。
現代社会や現実社会を生きていると、つい誰かと比較しようとする人が周囲に出てきたり、いつの間にか自分も誰かと比較したりなってしまったりします。
どうしてかわかりませんが、これまでの理不尽な体験や辛い体験はそんな「競争のマトリックス、次元」から抜け出させてくれたように今となっては思います。
辛い体験も役に立つことがありますね。
辛い体験からは時に自分に精神的なダメージを受けることもありますが、そのダメージによって何故か不要な思い込みや概念を手放す「祓い」のようなことをしてくれます。
とある人は「自我からの解放」と呼ぶ方もいます。
この「自我からの解放」を起こすために様々な理不尽な体験や出来事が起こったのかもしれません。そう思うとそういった酷いと思われる体験も悪くないですね。ちゃんと意味があって起こっている訳ですから。
愛だけではなくて、本当は他のこと(恋愛・仕事・お金など様々なこと)に関しても本来は競争ではないような気がします。
他人と比較することで競争は生まれてきます。そして、自分の本質や本来の目的につながりにくくなり、本来の目的も見失いやすくなるような気がします。
何が言いたいかというと「自我」から解放されると「競争や闘争のマトリックス・次元」などなど不要な次元から解放されて生きやすくなるという事です。
自我がすべて悪いことでもないのですが・・・時には必要な時もあります。
その話は今回は一旦置いておいて。
全員に当てはまることではないかもしれませんが、「闘争・競争意識」の自我が強い方はこれを手放すと楽になるのではないかと思います。
そのことに気が付いてからは、とても生きやすくなりましたし、平和に暮らせるようになり、同じ平和が好きな人とのご縁を頂けました。
そして、現在も現実的な悩みはどうしてもありますが、人との関わりの面ではだいぶ恵まれてきたように思います。
数年前から人間関係に恵まれてきたのです。
なので、競争・闘争の意識は時に必要で自分を高めてくれる原動力になったり、どうしても戦わなくてはいけない場合もあったりします。
でも、闘争・競争の意識を持つことや状況でどうしても長い間苦しんでしまう場合は他人軸(誰かと比較)ではなく、自分自身に繋がってみることをおすすめします。
周囲のことは一旦置いておいて自分はどうしたいのか、どうしたら自分の波動が高まるのか好きなことを波動が高まることをするのもおすすめです。