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「行事」というものは、「楽しいもの」というイメージもありますが、
「習慣化」し「義務的」にやっているものも少なくありません
最近私は、中学生の体育祭を見る機会がありましたが、行進をさせ、
どのチームが一番腕を上げれていたか、きれいだったかを来賓に決めてもらい、競わせるようなことをしていました
正直意味が分かりません。言葉通りの意味です。本当に何の目的があって行っているのか分からないのです
「競わせること」で「力をつける」ことはできます
しかし、それは現代の子育ての在り方とあまりにもかけ離れているように感じます
例えがあるなら「カブトムシ同士を無理やり戦わせていること」に近いのではないでしょうか
運動会という無理やり行われる行事の中で、指示者の元、自分の意志でないことで競わせる様相はまさにそれでしょう
こういう行事を行う時に大人が忘れてはいけないのは、
子ども達の意見を聞いて反映されているのかどうか、という点です
「競いたいのか」
「どんなことをしたいのか」
「そもそもやりたいのか」
等です。もし聞いていて、子ども達の意志でやっているのだったら私のリサーチ不足ですし、謝罪します
でも、そんな競争や、比較を平然と導入しているところでは、きっとそんなことはしていないとあえて断定します
「競走」、「比較」というものをスポーツや行事に加えることで、そのものの「本当の楽しさ」、「魅力」をなくしているとさえ思っています
そして子どもは、「嫌な記憶」しか残さないのです
少なくとも、今大人になった私が振り返り、それらの行事が楽しかったといわれると、あまりいい記憶が残っていません
「なんでやったんだろう」と無味乾燥な思いしかない残っていません
そろそろ、「競争したいお子さん」と「競争したくないが、楽しみたいお子さん」が両方楽しめるような企画を考えても良いと思うのです