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よく議論されることではある「障害は個性である」という話
私は「個性ではない」「強みでもない」「長所でもない」と考えます
なぜなら、「障害」とは「それによって本人が困っている」と認められて「障害」となります
本人が困っているのに、「個性」とはどういうことだろう?と思ってしまいます
少なくとも上記のような「個性」「強み」というような「前向き」な要素は感じられません
深堀りするなら、「個性」には2つの意味があります
・自分らしさ
・その人個人の性質、性格、固有の特有のパーソナリティー
・発達障害、身体障害、知的障害、精神障害、の方の
脳の伝達物質の偏り
脳の記憶処理の問題
身体の機能の問題
感覚処理の問題
から起こる様々な「困り感」を一概に「性格」や「パーソナリティー」という枠に押し込めるのは違和感を覚えます
いくら周囲の人間が「障害」を「個性」「強み」「長所」といったところで、本人が「困ってる」のであれば
それは「見て見ぬふり」ではないでしょうか
また、その考えの基盤は「個性だから助けない」「誰でもあるから助けない」になっていないでしょうか
本来なら「個性でも、違くても助ける」「誰でもあるから助ける」という心持ちが必要なのです
ただ、「障害は個性」という言葉は、福祉の中で、「障害を持った人が、社会に自然に社会に受け入れられるよう」という「願い」はこもっていると思っています
その願いはとても共感できます
福祉の歴史はある意味、
・闘争
・いかに受け入れてもらえるか
・知ってもらえるか
の歴史でもあります
今の社会でも「障害者」に対して排他的な雰囲気があるのも感じます
「障害」は「苦手さ」「本人の困り感」「難しさ」等様々な言葉で置き換えることができます
ある意味それらは、すべての人が持っているもので、強いか弱いかの違いだけなのではないでしょうか
「障害」を他人事のように扱わず、自分の「苦手さ」を知り、相手の「苦手さ」も理解することが、「健常」「障害」の枠組み自体をなくすことが
今後の社会に必要になってくるのではないか、とも思っています