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「下積み」が必要だった理由。

自分は大卒から4年間、学校・養成所と通って、プロ側に来ることが出来ました。合否の連絡が来る前日までは、「来年がんばろう」と計画していたことを思い出します。目指す気持ちが切れるのが一番怖かったのですね。「合格」は封書で来ましたが、まさに青天の霹靂。嬉しすぎるとこうなるのですね、声が全く出ない。事務所では簡単な契約に関する話がありましたが、それで終わり。「…これから、どうすればいいの?」と、なってしまった訳です。その後「芸事とは何か」について、本質を学ばせて頂いた「先生」とも言える方と出会いますが、それはまた機会があったときに書きたいと思います。当時、事務所の社長からは「数合わせで取った」などと言われ、どうしたら良いか、分からなった時期が続きました。今振り返ってハッキリ言えるのは、下積みが足りなかったということ。がむしゃらに頑張っていられるのは、むしろプロに上がる前までです。プロ側に来ると、見える景色は一変します。周りにいる連中が生徒では無く、プロばかりだからです。「理想」が「現実」に変わる瞬間。自分がどれだけ「溜めてきた」か、まざまざと思い知らされます。「自分は最大限、誰よりもやってきた」プロを目指す人間は、もれなく持っている自負だと思います。しかし、プロ側に来ると、そうではない。「出来るか、出来ないか」ただ、それだけです。これをアフレコの現場で思い知った時、もっともっと下積みが欲しい、と心から思ったものでした。<続く>
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【無駄に感じることを価値視する】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは、極力 無駄を避けようとしますが 無駄に感じることほど 価値があるのです。 なぜなら 無駄に感じることから 下積みができるからです。 どの分野を極めていくのにも 下積みの時期が必要であり 下積みの時期は何をやっても 無駄に感じてしまうのです。 思うように、願うように 歩めない時期なので 無駄に感じてしまうのですが 無駄に感じることでも 積み上げる歩みができれば 無駄な歩みにはならないのです。 私たちの環境は 導かれて与えられています。 自分で意図的に決めて 勝手に決めたとしても 導かれて与えられた環境なのです。 全てが決定して いるのではないのですが 選んだことが導かれることで 与えられるということです。 与えられるというのは 私たちの都合に 良いことだけではなく 願った覚えがないことも 与えられることがあります。 わざわざ無駄に感じることを やらないといけないのも 導きによって与えられています。 そして、場合によっては 必然的に与えられることもあり 無駄に感じることを せざるを得ない場合もあります。 与えられた環境には 何らかの意味がありますが その意味は、その場では 分からないのです。 後になって 無駄に感じていたことに 意味があったことを 悟ることができるのです。 私たちは悟ってから 行いたいのですが 行うことで 悟れることがあるのです。 しかも、行って すぐに悟れるのではなく しばらくしてから 悟るようになるので 無駄に感じることを 長く続けることで 苦しくなることもあります。 努力というのは 重要なのですが すぐには結果が実ら
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