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「下積み」が必要だった理由。

自分は大卒から4年間、学校・養成所と通って、プロ側に来ることが出来ました。合否の連絡が来る前日までは、「来年がんばろう」と計画していたことを思い出します。目指す気持ちが切れるのが一番怖かったのですね。「合格」は封書で来ましたが、まさに青天の霹靂。嬉しすぎるとこうなるのですね、声が全く出ない。事務所では簡単な契約に関する話がありましたが、それで終わり。「…これから、どうすればいいの?」と、なってしまった訳です。その後「芸事とは何か」について、本質を学ばせて頂いた「先生」とも言える方と出会いますが、それはまた機会があったときに書きたいと思います。当時、事務所の社長からは「数合わせで取った」などと言われ、どうしたら良いか、分からなった時期が続きました。今振り返ってハッキリ言えるのは、下積みが足りなかったということ。がむしゃらに頑張っていられるのは、むしろプロに上がる前までです。プロ側に来ると、見える景色は一変します。周りにいる連中が生徒では無く、プロばかりだからです。「理想」が「現実」に変わる瞬間。自分がどれだけ「溜めてきた」か、まざまざと思い知らされます。「自分は最大限、誰よりもやってきた」プロを目指す人間は、もれなく持っている自負だと思います。しかし、プロ側に来ると、そうではない。「出来るか、出来ないか」ただ、それだけです。これをアフレコの現場で思い知った時、もっともっと下積みが欲しい、と心から思ったものでした。<続く>
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【偉大な先輩たちとの共演①】石塚運昇さん[出会い編]

この人に会いたくて、某養成所に入りました。特段ファンだった訳ではありません。ですが、「この人は、何故安定して売れているんだろう」これが気になって仕方が無かったのです。(若気の至りとは言え失礼な話です…)レッスンを何回か受けました。演技指導というよりは「演技をじっと見てくれる」感じでした。まるで審査員の様でもあり、お客の様な感じもあり、慣れない感覚でしたね。「今のイイ。面白かったよ」単なる感想に思えますが、どれだけ心強かったか。この人は「本心」で認めてくれていることが分かるのです。ある時、とんでもないお言葉がありました。「台本、余っているから、みんなにあげるよ」そう言って、稽古場の長テーブルの上に台本をザラザラ出し始めました。「ポケットモンスター」「イニシャルD」、他外画の分厚い台本など。(おい、マジかよ)そうなりますよね、普通。ファン心理もあり、運昇さんの演じた台本が見られるという勉強心もあり、生徒は群がります。自分も欲の塊でしたね(笑) …10冊くらいもらってしまいました。【注釈】当時はまだ、アフレコ台本に通し番号が付いておらず、各番組からの誓約書も書いていない時代でした。→ 今でしたら売買禁止ですし、コンプラ違反となります!「台本って、こうやって書き込むんだ…」とお手本になって、少し違いますが、自分もおんなじ様な台本チェックになっています。他の講師・先生方の様な、技巧的な演技指導は殆ど受けませんでしたが、運昇さんの行動そのものから「演じるヒント」を沢山頂いたと思います。<続く>
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「声マネ」のはやりは、良しか、悪しか。

声優(ボイスコ)募集にも、声マネ依頼が掛かることが増えてきました。各種、権利関係があるとはいえ、二次創作物には、ある程度目をつぶってもらっているのが暗黙の了解となっています。原作を著しく改変したり、営利に走りすぎると訴えられることもありますが、「声マネ」も技術ですので、これ自体が悪い訳ではありません。むしろ、芸事は真似ることから始まりますので、アプローチとしては推奨したいくらいです。ただ「演じる」というテーマに照らした場合、ここが大きな分かれ道になっています。「演じる」ことと「モノマネ」は、全く別物なんです。演じる上で、真似から入るのはセオリーではありますが、真似ながら自分の個性探しをしなければいけません。(これにはいくつか方法があります)これを忘れると、真似ることはモノマネに寄っていきます。(ヒューマンビートボックスのサンプリングに似ていると思っています)「〇〇のマネやって?」と言われると出来ますが、「あなたならどう演じる?」と言われると窮する訳です。演じる上でのモノマネの弊害は、自分の個性が分からなくなることと言えるでしょう。しかし、上述の分別が付いた状態で、「演じること」も「モノマネ」も仕事に出来ている人がいます。その第一人者は「山寺宏一さん」です。共演させて頂いたことがありますが、目を皿にして、どんなブランディングをしているか、盗もう盗もうとしてましたね(笑)また「共演編」のブログを書くときがあれば、その時にもと思いますが、山寺さんから学べたものの一つとして、『モブキャラをやるときは、モノマネベースが便利』ということでしょうか。特に外画の吹替(特に韓流などの戦国モノ)で
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謙遜することでみえる他人の本当の本性

こんにちは。今回は謙遜することでみえる他人の本性について書きます。先日、インフルエンザに感染し、38度以上の高熱にうなされてる間に色んな辛い感情がわいてきて、それはそれはとても辛かったです。でも色々なものが体の中から燃えていき、かなり心境の変化がありました。マウンティングする人ってどう思いますか?マウンティングする人ってかえってすごくないというかださくみえるんですよね。だから私はマウンティングしないで謙遜して謙虚にしてるんですがしかし、今の日本は発達障碍の人が多いから、謙遜を真に受ける人が多いように感じます。とくに教育学部時代に2000年度以降に生まれた人たちはほぼ全員がグレーゾーンか発達障碍と教わりました。初対面で私はこんなにすごいのよと自慢したら、かえってあまりすごくないというか。初対面の時に大事なことっていかにすごい人間かどうかよりも性格とか気が合いそうかとかの相性だとおもうんです。それを自分はこんな経歴で、こんな受賞してーとかをいったら友達候補としてみれなくてひくじゃないですか。だから、私は人間関係は打算ではなく、友達になれるかどうかでみてるのでそういうマウンティングではなく、誠実に謙虚に謙遜してるんですけど残念ながら、人によって態度をかえたり、損得で態度をかえる人っていますよね。今回、本当の自分の実力を言わずに謙遜したことで、酷い目にあったので、浄化、心の整理も込めて書いています。実は私は、吉本を途中で逃げなかったら、王様のブランチのレギュラーやイッテQのレギュラー、CMなどに出てた人なんですよね。基本NSCはいったら、オリエンタルラジオみたいにすぐデビューできる人は
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養成所時代

演技系の養成所に二年、ナレーション系の養成所に一年行きました。まずは演技系。わいわいがやがやと同じ夢を持った皆で楽しくお勉強しました!かなり真剣に頑張りました。毎日の様に養成所の授業が終わると公園に集まって自主練習していました。もちろんバイトしつつ。寮でも同じ養成所の子と演技談義をしたり。二年の養成所期間を経て、さて次はどうしよう?という時期。私は逃げました。「不合格」というレッテルを恐れ、次の養成所を探したのです。当時の私は「まだまだチャレンジする時期じゃない」とか「朗読が好きだからナレーション系を勉強したい」とか言い訳しながら逃げていました。どこを受けても合格する気がしなかったんです。実際受けてもしなかったでしょうが、チャレンジすらしなかった臆病者でした。そうして探し出したナレーション系の養成所。ドタバタ演技することはありませんでしたが、しっかりと演技を教えてくれる時間もありました。マンツーマンのレッスンがあったり、ボイスサンプルをスタジオ収録させて頂いたりという時間もありまして、宅録をする上での準備は、ここでの経験が生かされています。今でも覚えているのは、たこ焼きについて語るナレーション。「外はカリッ!中はトロトロ~」みたいなセリフでしたが、クラス全員分のたこ焼きナレーションを聞いた後は当然たこ焼きを食べました。たまにあれを思い出してはたこ焼きを食べたくなってしまいます。食べたくなる様なナレーションをする・・・という意味ではかなり優秀だったのかもしれません。結局こちらも、実家との話し合いで所属できなければ地元に帰るという事が決まっておりまして。これで私の東京生活は幕を閉じ
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