見えない世界でも人間界でも、警戒するモノは割と同じ。
「お前の願いを叶えてやろう、ワシは神だ」なんて言って神が登場するという、どうやらノンフィクションらしい話を見かけて私は頭痛がしていた。そんな神がいれば、人間は総じて豊かであるし、そもそも選ばれた人間だというアピールなのであれば、なぜそうなったのか。
その経緯の説明は全くなく、とにかく自分は覚醒した、という事らしい。この業界にいるホンモノと言われる人であるならば、それが神ではない事は容易に理解するだろう。
神なんてものは多くを語らない。むしろ殆ど何も語らない。
私だって、入ってくるイメージを何とかして言語化しているが、言語で会話なぞした事がない。
自分で「神」と名乗り、また、他の神を騙り登場するモノに碌なモノはいない。
なのに、自分に「神」がおりてきた、と喜んでいる人を見ると私は頭痛がするのだ。そもそもそれが「願いを叶えてしんぜよう」と言ったとは。
そんな有難い事なんて一度もない。ああ、うらやましいぜ(棒読み)でもそんないわゆる「神上がりしたモノ」に踊らされる人ってのは結構いるわけで、それはやはり、当人にとっても全くよろしくないわけだ。
神上がりしたいモノというのはとても饒舌で、そして少々力もあったりするんで本人やその依頼者の願望をばんばん叶えてしまったりもするし、事細かに情報を与えてくれるので、霊能者としての名は間違いなく売れると思う。しかし、その本人が手を組んだモノは、対価を求めてくる。
それは何かと言えば、本人の魂だったり、気だったり、つまり本人を保つのに必ず必要なモノ、である。それなのに「自分は神に選ばれた」と喜んでいる姿を見て、忠告も届かない様を見て、私もさすがにもう
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