心が分からない・・・それ、思考かも。
アカシックレコードと龍という本の冒頭のあたりで、私たちが普段、心と呼んでいるのは、考えているのは”思考”で、ジュネさんが心と呼んでいるものではない、とあります。ホ・オポノポノ的に言うとウハネ=顕在意識・表層意識=思考ウニヒピリ=潜在意識=心・感情って感じでしょうか。最近、私のもとに来るお客さんのいくらかは「自分がどうしたいのか、分からないんです・・・」ということをよく言います。私の場合は、つねにウニヒピリはどう感じているか?に意識が向いているので、やりたいことも、やりたくないこともある程度、明確に分かっています。が、そういうお客さんの場合は、総じてウニヒピリとのコミュニケーションをしていない気がしています。もしくは、ウニヒピリが発信したアイディアをスルーしてるんです。自分がそんなことを思うはずがない、(今の会社や結婚生活をやめて、全く別の場所で違う職業や誰かと一緒にいる生活のほうが楽しいんじゃないか)とかこんなイメージただの妄想だ、(実家にいるわんこが浮かんできたり、ハワイのビーチが浮かんできたり、アイスクリームのイメージが浮かんだり)とかこんなことを思っちゃいけない、感じちゃいけない!と。頑張らなきゃいけない、やりたくないなんて思っちゃいけない、嫌いだなんて思っちゃいけない、そういう心の癖、無いでしょうか。自分の感じていることをジャッジメント=思考して、押し込めてないでしょうか?そういう人たちは、どこか、心の奥底をのぞかれることを極端に恐れてる気がします。そして、心の扉が閉まってる人も良くいます。キレイに居たい、正しくいたい、成功者でいる地位を手放したくない、理想を疑いたくな
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