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2022年最後の一日も大事に過ごしたいと思います

今年も残り一日になろうとしています。2022年最後の一日も大事に過ごしたいと思います。 さて、今日はしめ縄や門松・お正月のお花などを飾り、ご近所さんにご挨拶をして参りました。毎年この時期はいつもよりゆっくりお話が出来るので、それも楽しみとなっております。 そして今日お願いをしておいたおせちが届く予定なのですが、この時間でもまだ届かず、配達員さんも大変だな〜とちょっと申し訳なく思いました。 とにかく急ぐことなく無事にいらしてくださればと思います。我が家は急ぎませんので^_^ さあ今から何をしようかな〜。ご飯も食べたので、読書でもしようかと思います。 それでは今日もあたたかくしておやすみくださいませ。
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「大麻」戦争~タイの今!

なんじゃ?タイマ?タイマ~??^^;そういや~前に日本でも「大麻を合法に」とかって選挙で「公約?」におもいっきりしていたヒトいたよね~^^;落選?!ある芸能人も一緒じゃったね。^^;;ま、タイでは一応「合法」とはなっているし外国人観光客だっていっぱい「大麻吸引」等をやっている・・・日本人観光客も一部だが大麻を吸引?しているよね。^^;;その日本人の中にも「急性中毒?」になり救急車で搬送されてる人もいたね~(ーー;あのね~いくらタイで「合法」でも、日本はまだ「違法」だし、もし日本に持ち込んだり、日本で吸引とかしたら「逮捕」されます!^^(え?日本で大麻吸引はOKですって~?!あのね~、吸引OKでも「吸引」するには「所持」してないと吸えんじゃろ~!^^;)んで、「医療用ならいいでしょ?」ってか?「あの~、そういう一部許可からね~、段々と崩れていくのが心配じゃね」・・・でも今年くらいから~何やら「医療用OK」なんていうウワサ?がねぇ~、あったよ~な気が!・・・昔、日本では「大麻栽培農家」が多く存在していた!^^;;え~~っ!!・・・まさかぁ~!?・・・ホントに?・・・はいそ~なんです「川崎さん」(ふる~^^;)。そもそも「大麻」なんて、日本では大昔から「クスリ」とか「食用」とか「布」とかね~色々と活用していたのじゃ!^^へぇ~。なんかちょい「クジラ」に似ているよね~。もちろん日本では「クジラ」は大昔から~「おいしい食べ物」としてパクパクみんなが食べていたよ~♪^^ボクも大好きです!学校給食でボクの一番の好物は「クジラ」に「揚げパン」じゃね。^^うまぁ~~。でも何やら「クジラ」を食べる
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松の内も終わりましたので

今日は暖かくて良いお天気でしたね。洗濯物もよく乾きましたよ^_^ さて、松の内も終わりましたので、しめ縄を外してお正月のお花も片付けようと思ったのですが、お花がまだイキイキとしていましたので、もう少し飾っておくことにしました。 お気に入りの花屋さんで選んできた大きな菊がちょっと色合いが変わっていて好きなんですよね〜。 そしてその後はキッチンを軽く掃除したり、来週の授業の準備をしたりして一日を過ごしておりました。 皆さんは三連休の二日目、いかがお過ごしでしたでしょうか? まだ明日もお休みですね〜♡連休を楽しんでくださいね。 それでは今日もあたたかくしておやすみくださいませ。
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包丁で切ったらだめよ

11日は鏡開きなので、お正月飾りをお片付けしました。 鏡餅も神棚からおろして、しめ縄も外して 門松も解体しました。 門松の松と南天の実は捨てるには忍びないくらい 元氣できれいだったので、もう一度容器の竹に 入れ直して、今度は玄関の中に飾っています。 鏡餅は包丁で切ってはだめですと昔から言われています。 神様との縁が切れるからなんだって。 それでも包丁でザクザク切っていました。 だって一週間以上神棚に置いてるんだし、カピカピに 干からびててけっこう固いんですよ。 いくつもひびが入っているので、そのひびに 包丁を差し込んでグサグサ切ると簡単。 ずっ~と包丁で切っていました。 が。 今年はついに包丁は止めた。 今までも、鏡餅を包丁で切ったらダメと 聞いていても、そんなの迷信だろと振り払って いたのですが、今回はなぜか素直にはい! わかりました!と、包丁は封じ込めました。 物置からトンカチを探し出してきて、 鏡餅を大きな紙で包んでガンガン叩きまくった。 包丁で切るのもトンカチで叩くのも どっちも神様に失礼のような氣もしますけどね。 固い鏡餅を小さく叩き割るのは、けっこう力が 必要なんだなぁとよ~くわかりました。 ミニフライパンに砕いた餅を入れて。 エキストラバージンオリーブオイルを たらたら~と掛けます。ガスコンロのグリルに入れて8~10分焼きます。 途中でかき混ぜると全体が程よく焼けます。 一つずつのお餅の欠片がプクッと膨らんで きつね色になったころができあがり♪ 上から醤油か塩を振りかけて味付けします。 カレー粉や青海苔を振りかけてもOK。 わた
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私が「縁導師」と名乗る理由

私は、 自分を霊能者だとは思っていない。 占い師でも、 ヒーラーでも、 先生でもない。 それでも、 見えてしまうものがあり、 感じてしまう流れがある。 だからこそ、 その扱い方を間違えたくなかった。 縁は、 増やせばいいものじゃない。 引き寄せればいいものでもない。 むしろ多くの人は、 縁に振り回され、 絡まり、 疲れきっている。 私はそれを、 何度も見てきた。 「良い縁がほしい」 そう言いながら、 本当は 自分の位置が分からなくなっている人 を。 だから私は、 縁を足さない。 結び直す。 必要な縁が残り、 役目を終えた縁がほどける。 それだけで、 人は驚くほど 呼吸が楽になる。 「導師」という言葉を選んだのは、 導きたかったからじゃない。 前に立ちたかったわけでも、 教えたかったわけでもない。 むしろ、 奪いたくなかった。 相手の感覚も、 選ぶ力も、 人生の責任も。 導くとは、 引っ張ることじゃない。 答えを渡すことでもない。 境界を示すこと だ。 ここから先は、 あなたが進める。 ここまでは、 一緒に立てる。 その線を、 静かに指すだけ。 私は、 誰かの人生を代わりに生きない。 決断もしない。 責任も取らない。 でも、 その人が立っている場所が 苦しさを生んでいるかどうかは分かる。 そして、 戻れる場所があることも知っている。 縁が整うと、 人は無理をしなくなる。 説明しなくてよくなる。 比べなくてよくなる。 証明しなくてよくなる。 ただ、 自分の足の裏の感覚が戻る。 それが一番大きい。 「しめ縄」という名前を選んだのも、 同じ理由だ。 しめ縄は、 何かを呼び込むためのもの
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お正月飾り

お正月飾りは、年神様に関係したもので、「門松」「しめ縄」「鏡餅」だよ。「門松」は、年神様が迷わないで、ちゃんと家まで来れるようにする目印。これは目印なので、家の前に置くよ。「しめ縄」は、結界を意味していて、神聖な場所で年神様にふさわしい場所だよってことらしい。これは、玄関に飾るよ。「鏡餅」は、年神様が泊まる家のことらしい。リビングとか家族が全員集まる場所に置くよ。鏡餅を鏡開きのときに食べると、年神様の魂も一緒に体に入れられるので、その年も安心して迎えられるってことみたい。これらのお正月飾りは、大掃除をして家を清めたあとに飾るんだけど、12月13日~12月28日の間に飾って、遅くとも12月30日には飾る必要があるらしい。絶対飾ってはいけない日があって、【12月29日】と【12月31日】。「12月29日」は、「にじゅうく」から「二重苦」という苦しみが連想されるから。「12月31日」は「一夜飾り」でお葬式を連想するから。縁起が悪くなって、年神様に失礼だから、この日は飾っちゃダメなんだって。もし12/28までに飾るのを忘れたら、12/30にすれば大丈夫だよ!ちなみに、片づけは、地方によって違うけど、1/7くらいにやるのが一般的らしいよ。
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しめ縄の思想|境界に立つという在り方

はじめに これは、 誰かを導くための文章ではありません。 正解を示すためでも、 安心させるためでもない。 ただ、 私がどこに立っているのか を 記しておくためのものです。 分かる人にだけ届けばいい。 そういう場所として、ここに置いておきます。第一章|信じることから降りる 視えるようになってから、信じなくなったもの 視えるようになってから、 私はいくつかのものを信じなくなりました。 神も、仏も、 スピリチュアルという言葉も、 「正しい在り方」や「高次の存在」という考え方も。 信じなくなったというより、 それらを拠り所にする必要がなくなった という感覚に近い。 信じることで安心していた頃、 私は自分の感覚を外に預けていました。 けれど、派手な光も 都合のいい言葉も、 多くは人の不安が形を持ったものだと 分かるようになった。 信じなくなったのは世界ではなく、 自分以外に判断を委ねる癖 でした。 祈りは願うものじゃない。整えるものだ 祈りは、願いではありません。 「叶えてほしい」 「守ってほしい」 それは祈りの外側。 本来の祈りは、 自分の状態を整える行為です。 整っていない状態での願いは、 世界を動かさない。 動くのは、祈っている本人の心だけ。 静かに立ち、 呼吸が戻り、 余計なものが削がれる。 それが祈りです。 第二章|力と距離 力を持つと、孤独になる理由 力を持つと、人は孤独になります。 それは拒絶ではなく、 立つ位置が変わる から。 先に気づいてしまう。 見えてしまう。 だから語れなくなる。 語れば、相手の歩みを奪ってしまうから。 孤独とは切り離されることではなく、 混ざらない
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視えるようになってから、信じなくなったもの

視えるようになってから、 私はいくつかのものを信じなくなった。 神も、仏も、 スピリチュアルという言葉も、 「正しい在り方」や「高次の存在」という考え方も。 信じなくなった、というより それらを拠り所にする必要がなくなった、 そんな感覚に近い。 視える前、 人は「信じる」ことで安心しようとする。 信じれば守られる。 信じれば導かれる。 信じれば間違えない。 そうやって、 自分の感覚を外に預けて生きていく。 けれど、視えるようになると分かる。 派手な光も、 ありがたい言葉も、 都合のいいメッセージも、 多くは 人の不安が形を持ったもの だということが。 だから私は、 「信じる」という行為から 静かに降りた。信じなくなったのは、 世界そのものではない。 自分以外に判断を委ねる癖 だ。 祈りを強く信じる人ほど、 自分の感覚を疑いやすい。 導きを求める人ほど、 決めることを怖がる。 それは弱さではない。 長い時間をかけて、 そう教えられてきただけだ。 私は、 誰かに何かを信じさせるために ここにいるわけじゃない。 「これを信じれば大丈夫」 そんな言葉を渡す役目も持っていない。 視えるようになって、 ひとつだけ確信したことがある。 本当に整っている人は、何も信じていない。 ただ、 自分の感覚を疑わずに使っている。 それだけだ。 神を感じる人もいる。 仏に救われたと感じる人もいる。 それ自体を否定するつもりはない。 ただ、 それは「信じたから起きた」のではなく、 すでに整っていたから、そう感じられただけ そう思っている。 私は、 誰かの希望になろうとはしていない。 救いの象徴にもならない。
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大体の時間を決めてから

今日は風の強い1日でした。せっかく付けたしめ縄が取れてしまって、再度付け直しました^ ^; そして、今日は急いで大掃除。お風呂場や窓掃除など、ざっとではありますが、綺麗になりましたよ。 ある程度のところで止めないと、キリがないので、大体の時間を決めてから取りかかりました。 こうすると、やりたい掃除が全て出来るのでやり残すことがなくストレスもないです^_^ このあとは、購入したおせちとは別に家族の好きなおかずを作ろうと思っております。 明日は寒くなりそうですので、風邪など召しませんように。 それでは、皆さんあたたかくしてお休み下さいませ。
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相撲について疑問に思うこと

私は神道と仏教を独学で勉強をしています。そのなかで、相撲についてまだわからないことがあります。相撲は神事で、神社のなかには土俵があるところもあります。しこを踏むのは、大地の悪霊を封じる所作らしいです。力士のまわしですが、しめ縄と紙垂(しで)の位置なんです。不浄な場所とはいいませんが、微妙なところにしめ縄というのが、なんとなくわかりません。不浄な場所だからその場所にまわしをつけているのかな?神社や神棚のしめ縄の由来は、古事記にでてくる神話に、天照大神さまが岩戸隠れをしたあと、岩戸のまえでわざと宴会をして、天照大神さまに岩戸を開けさせたあと、天之手力男神さまが岩戸を開けて、天照大神さまが岩戸に戻らぬようにしめ縄をしたと記憶しています。しめ縄はここからは聖域だとする話もありますね。いつかまわしの意味もわかるように勉強していきます。神社参拝は、本来は感謝の祈り、私は今、〇〇をがんばっています。お力添えをくださいというのがよいらしいと書籍にもありますが、私は最初のうちは願い事をされてもよいと思っています。私は感謝だけです。ただし、あちこちの神社で願い事をするのはタブーで、お願いしたら、願いが叶わなくてもお礼参拝をしたほうがよいです。神社参拝は女性の月のものがきているときと身内が亡くなられてから決められた時期までは(地域と縁の深さによって異なりますが、五十日間)は、参拝してはならないといわれています。相撲の土俵に女性があがってはいけないというのは、そうした古来からの習わしなので、女性そのものが不浄ということではないと思います。ですが、なんとなくこれも疑問に思うひとつです。ひょっとしたら、時
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結界とは?結界を張る方法や葬式で見かける幕やしめ縄の意味について徹底解説

はじめに私は、星 桜龍と申します。私は長年にわたり、占いやスピリチュアルな視点を活かして、多くの方の人生相談やお悩みに向き合ってまいりました。現役の霊能者としての感性と学者としての研究知識をあわせ持ち、人が抱える様々な問題の根本を読み解き、最適な方向へと導くお手伝いをすることが私の使命です。これまでにも、人間関係や仕事、心の不調などに苦しむ多くの方と対話を重ね、スピリチュアルな見地から本質的なアドバイスを提供してきました。結界(けっかい)という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。神社やお寺などで耳にしたり、漫画やゲームの世界で防御術として登場したりして、漠然と「神聖な境目」「外敵を防ぐためのバリア」といったイメージを持つ方が多いかもしれません。実際、結界は古来より日本の伝統的な行事や儀式、さらには民間の信仰まで幅広い場面で活用されており、人々の生活や精神世界と深い結びつきを持ってきました。結界という概念は、単なる「目に見えないバリア」というだけではなく、「神聖な空間」や「場の境界」を明確にするための手段でもあります。たとえば、神社の中では鳥居をくぐることで日常から神聖な領域へと足を踏み入れる感覚があるように、結界によって人々は「ここから先は特別な空間である」と認識し、自らの態度や心構えを変えてきたのです。葬式や祭礼の場で幕やしめ縄を見かける光景も、実はこうした結界の概念に深く関わっています。本記事では、結界の成り立ちや歴史、そして実際にどのように張ることができるのか、その方法や種類を徹底的に解説してまいります。また、葬式で用いられる幕やしめ縄の意味についても、占いやスピリチュア
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