絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

15 件中 1 - 15 件表示
カバー画像

〜筋トレの基礎〜

近年では、街中であったりメディアでも「筋トレ」について目にすることも多いかと思います。そんななか、私が怪我をした人で関わっている人の多くは「インスタでやってる人がいたから」「YouTubeで観ながらやってました」などと多岐にわたります。私はそのことを否定はしません。ご自身が少しでも明るい未来に向けて行動されたことは間違いのない事実なのですから。そして、無料でわかりやすく世間に健康意識を発信されている方は本当にすごいなと心から思っています。しかしながら、怪我をされてしまう方も中にはいらっしゃるということです。なかなか難しいところですね。。。私は、今後そういった怪我をすることを極力少なく誰でも簡単に続けることができるような施設を作るのが夢であったりします。対象は、若い方からお年を召した方まで幅広く特にお年を召した方にはこれからも元気で余生を過ごしてほしいという願いが強くあります。前置きが長くなりました。申し訳ありません。では、基礎なんですが筋力増強運動を効果的に行うには原理原則に従うと効率的です。3原理5原則①過負荷の原理:日常生活以上の高い負荷を課さなければ筋力増強        は期待できない。慣れをおこすとダメですね。②可逆性の原理:トレーニングをやめると元のレベルに戻ります。③特異性の原理:ムキムキになりたいのにマラソンの練習をすると求める効果        はでませんよね。①漸進性の原則:徐々に負荷を増やししょう。少しずつ頑張りましょう。②全面性の原則:「胸」だけ!「太もも」だけ!と偏らず行いましょう。③意識性の原則:どこに効いているのか、どんな意味を持ってやっているのか
0
カバー画像

人の幸せを願うこと

こんばんは~~~タカ3@です。 陽も長くなり、日中は温かくなってきましたね。春の陽気に誘われて、お散歩もしやすくなってきました。(雪解けも進み、ワンコの足が汚れなくなりました)さて、今日の本題「人の幸せを願うこと」です。誰もが、生きていく中で辛い経験や悲しい経験をしてきたと思います。 中には、あまりにも酷い経験をして人を信じることが出来なくなってしまった人もいらっしゃると思います。いわゆる、人間不信ってヤツですね。僕の経験からすると、裏切られた経験のほうが勝ります(ハイ)過去には、心療内科に通って眠剤やお薬をもらって服用した経験もありますが、実際のところ本当に苦しくって悩んでいた時は、お薬は全く効きません!! 精神的に悩んでいた頃は、寝られなくなりましたね。 眠剤飲んでも、全く寝られなったです。本当に「病は気から」です。この世の中、たくさんの人がいて価値観も合う人など、実際にはいませんよね。 2対6対2の原理。2割は自分の事を好きな人。6割はどちらでもない人。2割は自分の事を嫌いな人。 この原理に、間違いはないと思います。 誰だって、人に嫌われるよりも好かれたいし、分かって欲しいと思うものですが、何を言っても嫌われる割合は2割いるのです。合わない人に好かれようと努力するよりも、自分の事を大事にしてくれる人に尽力を注いだほうが、幸せになれますよ~。話は逸れましたが、人の幸せを願うことって難しいとは思います。まして、自分の事を嫌いな人や傷つけられたり、裏切られた人の幸せを願うなんて、冗談じゃない!!って誰もが思うはずです。ですが、恨んだり憎んだとしても、その気持ちを持っていると相手
0
カバー画像

チームワークに役立つマインドフルネス

マインドフルネスは、インスピレーションに基づく行動やコーチングプロセスにおいて、確かに重要な役割を果たします。マインドフルネスは、現在の瞬間に意識的に集中し、判断を下す前に全ての感覚と感情を認識することを指します。以下はマインドフルネスがもたらすいくつかの具体的な効果です。 マインドフルネスの効果 集中力の向上: マインドフルネスは集中力を高め、現在に集中することで仕事の生産性と効率を向上させます。 ストレスの軽減: マインドフルネスはストレスを軽減し、心の平穏を保つのに役立ちます。これにより、判断力や問題解決能力が向上します。 感情認識の向上: 自分自身の感情や反応を意識することで、より適切な行動選択が可能になります。これはコーチングやチームワークにおいても重要です。 クリエイティビティの促進: マインドフルネスは新しいアイデアや視点を受け入れやすくし、創造性を高めることが知られています。 コミュニケーションスキルの改善: マインドフルネスは他者への共感を高め、より良いリスニングとコミュニケーションスキルにつながります。 マインドフルネスとコーチング コーチングのプロセスでは、マインドフルネスはコーチとコーチィー(指導を受ける人)双方の自己認識を深め、より効果的な目標設定、行動計画の策定、行動の評価を可能にします。 マインドフルネスはコーチングセッション中の相互理解と共感を促進し、より深い洞察と有意義な対話を生み出すことができます。 総じて、マインドフルネスはコーチングとインスピレーションに基づく行動をサポートし、個人とチームのパフォーマンス、ウェルビーイング、そして全体的な
0
カバー画像

目的を果たすためになぜ基準が必要なのか?

はじめに基準は規格と言い換えることができます。身の回りのものだと「時間」「長さ」「重さ」「速さ」など結構あります。日本のJIS規格や世界のISO規格、米軍のMILスペックなども規格であり基準です。「憲法」や「法律」もう少しスケールを小さくするとスポーツの「ルール」も基準ですね。「基準には誰が評価しても同じになる」という性質があります。法律などは視点(争点)の違いや相互関係があり必ずしも同じにはならないので裁判があります。自由であるサッカーにも実は基準が存在しています。知っていましたか?その基準について理解を深めることで、サッカーのプレー、日常、経済活動、子育て、などで気付きが生まれると思います。基準の世界を覗いてみましょう!なぜ基準があるのか?なぜ基準が必要になるのでしょうか?基準がどのような役割を果たし、なぜ基準が生まれていくのか、一緒に考察していきましょう。
0 500円
カバー画像

6ゲン主義

「6ゲン主義」って知っていますか? 3現主義は聞いたことある人が多いでしょう。5ゲン主義も聞いたことあるかも。でも今回は6ゲン主義について考えてみます。まず3現主義。これは生産現場でよく使われる言葉です。製造会社ではしばしば耳にします。現場、現物、現実。現場に足を運び、現物を手に取り、現実を自分の目で見る。問題解決、改善活動の基本中の基本です。工場ではこの姿勢が叩き込まれます。品質事故や災害(ケガ)が発生した時、まずは現場、現物、現実が最優先。本社でも商品トラブルが発生したときに、連絡を受けた若手が大慌てで騒いでいたら、経験のある先輩が「お前それ見たのか?すぐに携帯で写真撮って送ってもらえ」と3現主義的アドバイスをしたものです。 次にプラスの2ゲン。これは原理と原則。原理原則とセットで使われるケースが多いですが、あえて分けると、原理は法則やメカニズム、原則は決まりごとや規則です。まずある事象についてのメカニズムがあり、それが原理で、そこから生み出される決まりごとが原則。なんとなく自然科学や社会科学が原理で、そこから経験的に人間が導き出したのが原則って感じですね。問題が発生した場合、まず3現主義で状況をリアルに把握した上で、原理原則から外れていること(ズレ)を特定し、問題を解決します。 さて「6ゲン主義」。最後のゲンは何でしょう。それは「原点」です。でも諸説あって、人間(ニンゲン)、現金(ゲンキン)などと言う人もいます。今回は、私が以前読んだ本に従って「原点(ゲンテン)」とします。「困ったら原点に立ち戻れ」と言いますね。現場・現物・現実→原理・原則で、考え、行動し、最後は原点を確
0
カバー画像

「カウンセリング浄化(クリアリング)セッション②」

こんにちは!女性専門カウンセラー・思考格上コーチの北川です。前回から引き続き、浄化セッション、クリアリングはどういったものか【第2話】(全5話)をお話しさせていただきます。生命のバトンのお話しで出てきた連綿と続く生命のバトンがいくつ繋がってあなたばの番にそのバトンが回ってきたのか、計算された方はいらっしゃるでしょうか?お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひぃおじいちゃん、ひいおばあちゃんからずっと辿っていくとすごい数になります。そのバトンを渡されて、今自分が”今ここ”を生きています。10代前まで1024人。20代前までいくと100万人を超える。さらに先に行くと膨大な数字になります。それくらいのバトンが繋がれてあなたのところにバトンが回ってきたのです。生命、自分が何のために生まれて、何をして生きていくのか。ここを探求して何かの考えや本質に辿り着き、理解できた!と思っても、そこで終わりなわけではなくて、その「理解できた!」「なんとなくそう思える!」という感覚を携えながら日常生活を一生懸命生きていく中で、体験経験していくことが何よりも大切です。「自分が何のために生まれて、何をして生きていくのか」ここが掴めているか掴めていないかによっても、感じ方の深さや幅や高さなどが全く変わってきます。私自身も自分に経験・体験を常に与え続け、今現在進行形で、日々日々味合わせていただいています。この感覚をシェアするコミュニティを作っています。ご興味ある方はぜひ!一度面談という名のお茶会をいたしましょう(*ˊ˘ˋ*)♪根本・根源・本質、呼び方はなんでもいいのですが、この領域を探求しながら、具体
0
カバー画像

【受け身体質から、投入体質に転換する】

日常的スピリチュアル、安田です。 過去の時代は 受け身体質の方が 良かったのですが 今の時代では 投入体質でないと 成り立たないのです。 受けることは必要なのですが 受けることしか考えないのが 受け身体質なのです。 体質というのは 無意識であり 反射的なのです。 理屈では 「このままではいけない」と 知っていても 体質になっていると 理屈通りにできないのです。 体質の転換ができれば 葛藤しながらでも 理屈の通りに 歩めるようになります。 転換するには 習慣にして、体質にすれば 転換ができるのですが 習慣は三週間で身につき 体質は三ヶ月で変えることができます。 感情の転換には 時間がかかりますが 習慣、体質の転換は 三週間、三ヶ月で出来ます。 受け身体質から投入体質にするには 投入する意識を習慣にしてください。 意識ができることは いずれできるようになります。 最初はできなくてもいいので 意識だけでいいので 習慣にしてください。 投入する意識ができれば 投入する歩みがしたくなり 投入できることを 見つけることができます。 最初はごく小さなことでいいし その小さなことを習慣にして 体質にしていくことで 自然に転換されていきます。 この繰り返しによって 受け身体質から投入体質に 転換することができるのです。 投入というのは 消耗ではないし 損得ではありません。 宇宙の法則に 合わせることであり 原理原則の歩みなのです。 投入することで 真空状態をつくることができ 真空は自然に埋まるのです。 いつ、どのように埋まるのかは 分かりようがないのですが 必ず埋まるようになっているのです。 本
0
カバー画像

【主体的に歩むことで運の流れがつくれる】

日常的スピリチュアル、安田です。 主体的に歩めるようになれば 自分のペースで歩むことができ 運の流れをつくることができます。 運の流れというのは 単に良いことが起こるという 小さな次元のことではなく より大きな目的に貢献する 運の流れができるということです。 運の良さというのは 何かの願いが叶うとか 自分にとって都合が良いことが 起こるということではありません。 表面的なことだけで 運の良し悪しを 判断してしまうと 運勢の本質を 見失ってしまうのです。 運勢の本質というのは 本来の基準から見ることで 分かるようになります。 本来の基準では 運勢の良し悪しはなく 良いだけなのです。 良し悪しというのは 私たちが勝手に判断して 勝手に決めたことなのです。 現実的に 開拓、建設する使命がある人は 結果を出すことができるのですが 穴埋めをする使命がある人は 結果が出せないことがあります。 表面的に見ると 結果が出せている人に 注目してしまうのですが 結果が出せていない人の 使命の全うによって 結果が出せているのです。 与えられた使命というのは 自分で選ぶことができないのです。 誰でも建設する歩みを 願うのですが 否応なしに 穴埋めをする使命が 与えられる人もいます。 穴埋めをする使命が 与えられる人は 逆に言えば、運勢が強いのです。 穴埋めの歩みというのは ひたすら忍耐するような 歩みになっていくので 運勢が強くないと 耐えることができないのです。 大抵の人は 結果を出している人にしか 注目をしないので ひたすら穴埋めをしていても 誰からも見向きもされないのです。 ただ、宇宙の法則 原
0
カバー画像

【全体目的に一致した願い】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代は 全体目的に一致した 願いでないと 時代の波動に 合わせることが できなくなります。 全体目的というのは より大きな目的であり より大きな目的を 目指していくことで 時代の波動に合わせる ことができるのです。 全体の捉え方は 成長の度合い 心霊基準によって 違いが出てきます。 意識ができる次元までの 全体目的の基準でいいのです。 成長の段階によって 全体目的の次元、範囲が より大きく、広く なっていくのです。 より大きな目的のために 歩むというのは 宇宙の法則であり 原理原則なのです。 私たちは 自分の努力しかできないし 自分を成長させることしか できないのですが 全てのことは 全体目的と一致しています。 全体目的の意識が できなかったとしても 一致しているのが事実なのです。 どんなことを 願ってもいいのですが 全体目的と一致した願いは 法則、原則に合うので 導かれていくのです。 私たちは、どんなに 自分次元で歩もうとしても 全てに連結されているのです。 宇宙空間の中でしか 歩めないし 生きれないので 否応なしに 全てに連結されています。 なので、全体目的を 意識するというのは 自然な意識なのです。 特定の志がある人だけが 全体目的を意識するのではなく 誰もが自然に意識することが できたのです。 時代の恩恵によって 本来の基準で 歩めるようになったので 本来の基準の意識が 求められているのです。 本来の基準の意識によって 自分の願いを悟ることができ 願いを成就する努力が できるようになるのです。 自分の願いというのは 本来の基準を軸に
0
カバー画像

【時代の恩恵を過度に期待しない】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の恩恵は 大きくはなっているのですが 過度に期待をしてはいけないのです。 なぜなら、恩恵があっても 人の努力は必要だからです。 どんなに恩恵が 大きくなっても 原理原則は変わりません。 全ての人に自己責任があり 自己責任を全うすることで 導かれていくのです。 いくら恩恵があっても 自動的に導かれることは ないということです。 そして、恩恵があったとしても 実る時期、導かれる時期は 人によって違うのです。 どんなに恩恵があったとしても 今まで努力をしてこなかったのであれば 実ることも、導かれることもありません。 時代の恩恵と 自己責任の全うが 一致したときに 恩恵が感じられるのです。 時代の恩恵は、私たちには コントロールができませんが 自己責任の全うは コントロールができるのです。 時代の恩恵が 大きくなることで より自己責任の全うレベルが 上がっていくのです。 なぜなら 人にしかできないことが 求められてくるからです。 誰でもできることや 人工知能ができることではなく その人にしかできないことが 求められてくるので より努力が必要なのです。 テクノロジーが発達することで 楽ができるようになると 期待をする人もいますが テクノロジーによって 効率的に歩むことが できるようになるので より努力が必要なのです。 いつの時代でも 最善を尽くすことは 必要なのです。 効率的に歩めるようになれば より投入することができ より努力ができるのです。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がるので より基準高く歩むことが 求められてきます。 基準高く歩むというの
0
カバー画像

【現状維持バイアスを自覚する】

日常的スピリチュアル、安田です。 ありとあらゆるものは 変化し続けるので 現状維持はできないのです。 現状維持ができると 錯覚しているのが 現状維持バイアスなのです。 変化を楽しめる人もいれば 変化を嫌う人もいます。 同じことだけを 繰り返していければ 楽ではあるのですが 成長ができないのです。 この世の生の目的は 成長するためなので 変化が必要なのです。 変化を拒否するというのは 成長を拒否していることなので 宇宙の法則に合わないし 原理原則にも合わないのです。 過去の時代は 変化がゆっくりであったので 現状維持が保てる感じがしたのです。 今の時代は 変化が早くて大きいので 現状維持を保ちようがないのです。 今の時代で 現状維持を保とうとすると 時代の波動からズレていきます。 現実的に、変化を楽しめる人は ごく一部の人だけなのです。 大抵の人は、柔軟に 変化を受け入れることが できないのです。 なぜなら、変化には 不安と恐怖が伴うからです。 とくに転換時期というのは 今まで維持できたことが 維持できなくなり どんどん破壊されています。 新しい創造のためには 破壊が必要なのですが 現状維持バイアスが強いと 理屈では分かっていても 感情が受け入れられないのです。 破壊されたら 元の状態には戻れないので 新しい創造ができるのです。 破壊には絶望感を感じますが 創造には希望と可能性を 感じられるのです。 時代の転換によって 破壊されたことが 大きければ大きいほど より大きなことを 創造することができるのです。 破壊と創造は 正比例するのです。 何かを大きく失えば 大きく得ることが で
0
カバー画像

【奇跡を願うのではなく、成長することを願う】

日常的スピリチュアル、安田です。 奇跡は誰でも願いたいのですが 奇跡を願ってしまうと 成長ができなくなるのです。 この世の生の目的は 成長するためにあります。 もちろん 発展的な歩みをしながら 成していくことがありますが 成長しながら 成していくことが 目的でもあるのです。 才能、能力を発揮するのも 使命を全うするのも 成長するためであるのです。 永遠の観点から見たら この世で大きなこと 多くのことを成したとしても 心霊的な成長ができていなければ 霊的世界には連結されていかないのです。 貢献することで 功労にはなりますが 心霊的な成長が 伴っていなければ 霊的世界では 何も残りません。 今の時代は奇跡を願っても 奇跡は起こらないのです。 時代の波動が 奇跡を起こす波動に なっていないのです。 霊的な協助によって 導かれることはありますが 導かれることと 奇跡は違います。 奇跡が起こらないので 守られていることを 知らないといけないのです。 もし、何の代償も無く 奇跡が起こってしまったら 何らかの形で 代償を払わないと いけなくなります。 奇跡ばかりを願う人は 宇宙の法則 原理原則から ズレています。 奇跡を願う人は 最小の努力で 最大の結果を 出そうとしますが これは「おいしいところ」だけを 持っていこうとする根性でもあるのです。 奇跡が起こることを願うのではなく 成長欲求が満たされることを 願ってください。 心霊的な成長を願うことで 必要なことが与えられていることを 感じることができるのです。 奇跡を願うことは 幼い子どもが 駄々をこねているような ことでもあるのです。 過去
0
カバー画像

【損得根性では投入はできない】

日常的スピリチュアル、安田です。 投入するときは 損得を考えてはいけないのです。 損得を考えてしまうと 投入しきれなくなります。 投入力が身についている人は 損得を考えないで 今できることに 精一杯の投入をするのです。 損得根性が強い人は 投入する歩みができないのです。 何をしたら得で 何をしたら損かを 考えてしまうので 投入することが できないのです。 投入というのは 損得ではなく 宇宙の法則であり 原理原則なのです。 特別なことではなく 単に法則、原則に 合わせているだけなのです。 宇宙の法則 原理原則に 合わせていれば 損とか、得とかを 考える必要はありません。 投入する歩みをするには 「損することはできない」と 考えてください。 どんな歩みであっても 投入する歩みをしていれば 損することはできないのです。 表面的に、一時的に見れば 損をしているように 見える場合もありますが 投入して損をした場合 宇宙の法則から ズレてしまうのです。 宇宙の法則というのは 宇宙にあるのではありません。 現実の私たちにある 法則なのです。 どこにいても 何をしていても 宇宙の法則が適用され 働いているのです。 なので 賢い歩みというのは 宇宙の法則に 合わせる歩みになります。 私たちの無意識は 損得を考えてしまうのです。 損得根性が残っているので 損だと感じることを 無意識に避けてしまうのです。 この損得根性から 転換するには 思いきり損をすることを やってみてください。 何のメリットも 感じられないことをやって 損を感じてください。 中途半端に損を感じているので 中途半端な損得根性が 出
0
カバー画像

【霊性教育が全ての教育の土台になる】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな分野の教育にも 霊性教育の土台が必要なのです。 なぜなら 全ての分野は 霊的世界と密接に つながっているからです。 この世と霊的世界は コインの表と裏のように 表裏一体になっています。 表裏一体というのは どちらからも影響を与えることができ 影響を受けるということです。 どんなことを 学ぶにしても 必ず言語化されているのは 言葉には魂が宿っているからです。 この世は国によって 言葉の違いがありますが 霊的世界は思いの世界なので 瞬時に伝わるようになるのです。 この世の私たちには 時間、空間の制限があるので この世の生涯で 学べることには 限度がありますが 霊的世界は 永遠の世界なので どんな分野でも 学ぶことができるのです。 そして 時間の概念がないので この世の1日が 1年に該当するのです。 霊性教育というのは 全ての分野の教育の 土台になるのと同時に 全ての分野を統合できる 教育でもあります。 究極の原理原則なので この世でも霊的世界でも 通用する教えなのです。 今、時代の恩恵によって 霊的世界が整理されていますが その整理は 究極の原理原則の 教育によって 整理されています。 霊的世界の整理が 進んでいくことで この世も必然的に 整理されていくのです。 この世の私たちが 携われる分野は そう多くはありませんが どんな分野であっても 究極の原理原則に つながるようになります。 そして この世での生の目的も 明確になっていくのです。 この世での生の目的が 明確になっていないので
0
カバー画像

【本来の基準を目指す時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 本来の基準というのは 軸になる基準であるので どんなに時代が進んでも 永遠に変わらない 原理原則の基準なのです。 本来の基準を 目指していくには 今までは本来の基準ではない という認識が必要なのです。 現実的に経験するしかなかったのですが 経験しなくていいことを 経験してきたということです。 あるいは 感じる必要がないことを 感じてきたということです。 今までの時代が 本来の基準ではないことは 一目瞭然なのです。 なぜなら 矛盾に満ちた 時代だったからです。 矛盾というのは 同じ個体の中に 相反する目的があり 真逆の方向に 向かっているということです。 極端な言い方をすれば 破滅の状態になっている ということなのです。 大きくは 善と悪というのは 目的が真逆なのです。 中には 「善があるから悪もある」と 言われる人がいますが 善と悪というのは 調和ができないのです。 本来の基準は 善しかなかったのです。 もし、悪しかなかったとしたら この世の中はとっくに破滅していたのです。 今の現実の中では 善しかない基準というのは ピンとこないのですが 本来の基準は 善しかなかったのです。 その基準を目指せる時代が ようやく到来したのです。 今の私たちは 善の基準と悪の基準の両方を 何となくでも知っているので 葛藤が絶えないのです。 私たちの個体の中で 性善説と性悪説があるので 葛藤するのです。 そして、善の基準も 何となく曖昧なので 軸になる基準が 分からないのです。 本来の基準というのは 善の基準が
0
15 件中 1 - 15
有料ブログの投稿方法はこちら