氣=質
氣=質
作法、武術で言えば型。
大切であり、ある意味無用なもの。
例えばテーブルマナーや、席などのマナー(上座、下座など)も同様で、郷に入っては郷に従え、そういう価値観でしか判断されない場もありますので、不要とは思いません。
ですが、作法、型、マナーなどは、どうしても中身を置いてけぼりにしてしまう傾向があります。
全てにおいて大切なことは、型、作法、マナーの裏側です。つまり、想いです。どう思っているかです。思うことは氣であるので、即ち氣です。
マナーを例にするとわかりやすいですが、マナーができているからといって、相手や場に対して思っていることが無礼であれば、それは無意識に表に現れます。作法だけ良くても、嫌な感じになるのです。決して良い空間にはなりません。逆に、マナーがそれほど上手にできなくても、相手や場に対する敬愛、大切にしようという(自分本意ではない)想いがあるならば、無意識にその心は表現され、それはとても心地よい空間となります。
氣功の型も同じです。型ができる、覚えている、というのは、ただその世界の入り口が開いただけであり、型が語るその裏の本質に気づきを重ね、想いを重ねなければ、本当の力も価値も生みませんし、何の意味もないのです。
思うことは氣。氣を動かしているのは無意識です。その人、物、事をどう思っているかが無意識に表現されるところに、質が生まれます。思うは氣。氣は思うこと。つまり、質なのです。
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