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一人でやってはいけません(転職活動)

転職活動を全てお一人でやってはいませんか? 私としてはおススメしていません。 どこが間違えているか、どう修正したらよいかのヒントを 得にくいからです。 例を申し上げましょう。 私は学生時代、「型」を重視する武道のサークルに 入っていました。 その時に同級生だった人のお話です。 彼はものすごい稽古熱心でした。 1年365日、ほぼ毎日のように稽古に来ていたそうです。 先輩と一緒に稽古をする時もありましたが、先輩の 都合がつかない時は一人で黙々と稽古をしていたのです。 前述のように型を重視していますので、鏡の前に一人立ち、 自分で修正を加えながら日々上達に励んでいました。 結果はどうだったでしょうか? この話の流れから分かるように、大会では全く勝てなくなりました。 勝てないどころか選抜メンバーに選ばれることすら 叶わなかったのです。 誰よりも稽古をしていたのに。 理由は皆さんの想像の通りです。 一人で稽古をしていたので、他人の目から見た修正が全く できていなかったのです。 「これで良し!」 と自分なりに満足をしても、所詮は自己満足です。 結果が伴うとは別のもです。 もちろん、自己研鑽のために一人で稽古をすることを全否定 しているわけではありません。 以下の3点が必須であるとき、彼のやり方は彼自身が求める 成果には結び付きにくいのです。 ・勝負事であり結果を求められる ・時間が限られている ・無限にトライ&エラーができる訳ではない 転職活動も同じことが言えるのでは? と考えます。 ・勝負事であり結果を求められる  →内定を勝ち取らねばならない ・時間が限られている  →転職活動はダラダ
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「稽古」は、あるとき、突然つながる。

呼び方はルーティーン、トレーニング、練習など様々言われますが、役者は、日々稽古をしています。この「稽古」という言葉は、上述の他の言葉には置き換えられない特別な意味を持っていることを教わりました。本日は、かなり大きな気づきを得られたので、忘れないためにも、ブログを綴らせて頂ければと思います。これは感覚的なもので、なかなか言葉にしにくいのですが、今まで、見えていても出来なかったことが、出来るゾーンに入った、という類のものです。自分は、稽古に「カラオケ」を使います。(何をやっているかは、別の回でご紹介出来ればと思います)ほぼ、365日毎日、行かない日はありません(笑)飽きない秘訣は「稽古」をしに行っているからです。日々書き留めている、膨大な言葉の量があります。その言葉が正しいのか、惜しいのか、近いのかどうか…。数日、寝かせてみると分かるものですね(笑)しかし、いざ気づいてみると「言葉以前」なんです。いくら、先生や先輩方から実演や講義を受けていても、自分自身の内からくる「自分定義」とは、差異があるものなのです。例え、全く同じ現象を見ていたとしても。今日、完全に、この差異が無くなった。急に来るもんだな、とあっけらかんと驚きました。それも必死に言葉にしようと書き留めましたが、果たして後で見て、きちんと再現できているかどうか…こればかりは分かりません。(笑)言葉を超えたところに入る。腑に落ちる、という言葉がありますが、このことかと思いました。正しい稽古の方向を示してくれた、Sさんに改めて感謝申し上げたい。正しい稽古のすごいところは、アクションとしては同じことを繰り返しているのに、限界値が無い
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声優の「現場」と「宅録」、何が違う??

「宅録と、実際の声優の現場で何が違いますか?」という質問を頂いたので、こちらでも回答がてら書きたいと思います。…何が、というより色々違います(笑)宅録は自分のペースで、切り貼りしながら進めることが出来ますが、現場ではキープ時間があり、その間にディレクションに応え、「OK」をもらわなければいけません。最近は少なくなりましたが、20人を超えるキャストの場合など、スタジオ内の椅子が足りなくて、モニター横くらいまでぎっしり椅子を出して座る場合や、出番のないロール(パート)の時はロビーに出ている場合など、色々動き回ることが多いです。とにかく現場では、自分以外も常に「動いている」ので、自分の役割を見極めて発揮し、あとは空気の様に沈黙、雑談タイムになったらなるべく笑う様にする、といった切り替えがあります。特にアテレコの現場だと、収録が開始されると30人31脚で、走ったり縄跳びを飛んだりするイメージですね。また、共演者のダメ出し(ディレクション)を自分の台本にも書き込みます。自分には直接関係ないシーンでも、その芝居いかんによって「波の立ち方」が変わるからです。それは、自分の演技プランにも影響します。一方、宅録となると、「演じること」「チェック(自己ディレクション)」「編集(ノイズカットなど)」「連絡(クライアントとのやりとり)」を、基本全てを一人で行いますので、流れ作業に出来るまでに時間が掛かります。(今はルーティンがあるので、スイスイですw)また、「共演者」「ディレクター(またはクライアント)」「視聴者」が、その場に居ないことへの不確かさが募ります。表現(特にセリフ)は生ものですので、受け手
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自分の声優ルーティン三本柱「稽古×創作×表現」。

普通、自分の演技論、役作りは秘めているものですが、持ち腐れても仕方ないので、口外しようと思います。今回は演技論を支える、自分のルーティンに触れます。あくまで、私の場合です。そもそも演技論は自分で定義し、自分で構築しないと個性として光らないものです。まず、自然体の自分を基準とします。素の状態ですね。ここから「稽古」へのベクトル、次に「稽古」から「創作」へのベクトル、そして「創作」から「表現」へのベクトルへと移行します。芸事の「守・破・離」というものがありますが、それを自分なりに溶かし込んだものになります。さすがに染みついていますが、寝ているとき以外、必ずこの三本柱の内の何かをやっている状態です。このブログを書いている今この瞬間も。危機感を覚えるべきは「虚」(ボーッとしている)であるということ。何の生産にも向かっていない浪費状態が、芸をどんどん鈍くしている様に感じます…。「稽古」については、毎日、あることを必ずやっています。(下手をすれば、だれもいないトイレでやっているくらいです)「創作」。これは「クリエイト」「創造」という意味合いですが、自分の中では他の意味と混じってしまうため、区別して使用しています。「表現」とは披露するもの。人の目に触れる時間。自分一人ではなく、共演者、スタッフ、お客様と接している全般を指します。もちろん、オーディション・本番も含まれます。これら3つの柱の内、「今、何をやれば効率的か」「相乗効果が見込めるか」を常に感じながら生活しています。・いざという時に役に立ちます。・雑念や混乱が無くなります。・自分で自分の可能性が見い出せます。芸というものは、日々重ねてい
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「好き」であり続ける理由。プロの域とは。

仕事があれば、プロと見なされます。お金がもらえれば、プロと自覚出来ます。事務所に所属していれば、プロ。芸歴があればプロ。プロ、という言葉には様々な側面と解釈があります。何やら「声優資格試験」みたいなものもありますが、「賞」ならまだしも、プロには関係がありません。【重要】芸は盗むものであり、良い師匠、先輩を見つけることです。仕事が無ければ、つまり、共演者・スタッフ、そしてお客様がいなくなれば、表現者としてのモチベーションは下がります。当然です。コミュニケーションが無いのですから。ただ、こんな時でもプロは確実に自分のルーティンを忘れません。書き出すこと、声に出すこと。ルーティンを忘れなければ、現実にはコミュニケーションは無くなりません。つまり、虎視眈々と次のチャンスを待てるようになります。【重要】「稽古」には「他の人を必ずしも必要としない」のです。このルーティンを教えてくれる人は、ほぼほぼ居ませんが、共通して言えることは「好きであり続けること」。そのための工夫が深いのです。
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【2023】「糧」と「肥やし」、あなたが得た認識はどちら?

「芸の肥やし」という言葉があります。一方で、「明日の糧になる」といった言葉も耳にします。「糧」と「肥やし」。自分の場合、この2つは明確に意味を分けて整理をしています。日常を日常のまま過ごしてはいけない(過ごすのはもったいない)と考えるのが、役者の常です。人間観察、ネタ探し、何かにアンテナを立てて生活するのが、当たり前になっています。そんな中、「これは使える」「使えるかも」「どうかな」「う~ん」「いらない」「近づくな」など、遭遇する状況も様々です。「糧」とは芸の栄養になるもの。プラスになったエッセンスなど。「肥やし」は、失敗したときの反省材料。次に生かす。「糧」にも「肥やし」にもならない、雑多なものは視界に入れない。(これは「見えてはいるが、あえて意識的に見ようとはしない」という意味)そうすると日常の中で、自然と着眼すべきところを見る様になります。これは稽古をする上で、非常に大事な視点となります。
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【2023】「練習」と「稽古」、その違い①

今回は「練習」と「稽古」の違いについてまとめたいと思います。とは言っても、このお題は、かつての先生から意味を教えて頂いたもの。守秘義務にされている内容もありますが、今回は「言葉の意味」の範疇ですので、含まれないと判断しています。さて、スポーツではよく「練習」、芸事や武道では「稽古」と呼ばれます。単にジャンルで呼ばれ方が違うと思っていましたが…実は違いました。「練習」は、言い換えるとリハーサルです。何度も練習して、失敗しない様に慣れることです。完成形が既にあり、それを確実にするために練習します。しかし「稽古」は違います。向かう方向が明確にありますが、到達点がありません。自分で「ここまで」と区切りを付けながら、更に深めていくものです。では、お芝居をするときに「練習」するのか「稽古」するのか。自分の答えは「どちらも必要」です。それは何故か。②へ続きます。
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【稽古】ルーティンを持たないプロはいない。

アスリートの場合、年齢とともに限界を迎えて引退することは自然な流れに思えます。しかし、芸事はむしろ逆です。面白いことに死ぬまで伸びていく。それには…【重要】「自分にとって何が稽古に相当するか」を見つけること。これは千差万別なアクションに分かれますが、分析すると、不思議な事に質的には共通していることが分かります。プロがプロを分析すると「この人もか(笑)」って見えてきます。それは芸事として、素晴らしい仲間意識になります。そのエッセンスを日常に溶かします。日常の何気ない行動に織り交ぜるのです。それを10年も続ければ、意識しなくても身に付いたままになります。自分は芸歴が20年を迎えましたが、まだまだ伸びています。これだから、芸事はやめられない。自分のジャンルは「声」なので、これからも紡いでいきます!
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【2023】神道(⛩)と芸事①

自分がプロに上がった年から15年以上師事した先生に、芸事について指導を頂きました。既存のメソッドに囚われず、自分で見つける手ほどきを数々頂きました。その中で、今も中心にある原動力の一つに「神道」があります。神道は一言でいうと「日本の神様」ということになりますが、自分はそこまで詳しいわけではありません。要点は「神様に対する考え方」にあります。日本書紀、古事記に代表される神々が代表的ですが…【重要】日本人は「神様を創り出しています」実在の人物が没後に祀られる例(藤原道真、天皇陛下)から、自由な対象物を神格化する例(テレビ父さん神社、ラーメン神社)まで、実に様々で、そこに厳格なルールは無いように見えます。ですが明確な共通点があり、それこそが芸事に通ずる道しるべとなっています。それは鳥居(⛩)です。この意味が分かった時、芸が確実に進みました。詳しくは、②でお話したいと思います。
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