あの怒鳴り声は、子どもにむけたものじゃなかった
会社員時代の話。子どもが宿題をやらない。動画ばかり見ている。 夕食をを作りながら、「もう終わりにして、宿題やりな」と声をかける。一回目。二回目。三回目。 心の中でカウントが始まる。 でも、本当は。 正直、料理なんて気持ちになれなかった。 終わらなかった仕事のことを考えていた。子どもの迎えがあるからと、同僚に任せて帰った。終業直前に、顧客からのクレームで帰れる雰囲気じゃなかった。 それに加えて、1年に一度の資格試験を控えていて、ピリピリしていた。本当は机に向かって、勉強をしたかった。いや、したいわけじゃない。少しでも勉強していないと、努力が無駄になりそうで、不安だったから。 でもキッチンに立っている。 九回目。十回目。 「・・・っつ!!、いい加減にしろっ!!」 怒鳴った瞬間、自分の声に驚いた。 子どもは固まる。空気が止まる。 ああ、やってしまった。 あれは、宿題への怒りじゃない。 終わらない仕事への苛立ち。進まない自分への焦り。動けない人生への苛立ち。 それを、子どもにぶつけている。 構造は単純だった。 我慢をしすぎる成果を焦る心が削れる一番弱いところに出る 未熟だ。父親としても。人としても。 でも一番怖かったのは、これを“正当化”し始めていた自分だ。 「仕方ない」「忙しいから」「父親なんてこんなもんだ」「いや、そもそも10回目...」 そうやって続けていく未来が見えた。それは嫌だった。 子どもに怒鳴ったことよりも、このまま怒鳴り続ける構造のほうが怖かった。 だからあの夜、思った。 もう、これ以上はだめだ。 立派な親になりたいわけじゃない。 ただ、自分の苛立ちを子どもにぶつける人
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