普通
願えば叶うとか、信じるものは救われるとか。巷にあふれた励ましの語句。逆に、良くないことを想像したりすることで、悪いことも引き寄せがおきるのは 今は結構 ほんとかも!?って周知されてる。でも 前向きな言葉を思ったり放っていても、魂のずぅーっと奥底で(自分が幸せになることを許していない)人が多いらしい。多分これに関しては僕自身もそんな気がしてる・・・なんでだろう?自分の幸せを願うのは自分のはずなのになんの影響を受けてそうなってるんだろう?何がしたいとか生きている意味とか、そんなこと考える間もなく、住むとこもままならず、今日のご飯を食べるのに精一杯な貧困の人たちがいるのも知ってる。そしてそのような自分より不幸な人を知って、自分が幸せだと認識することを、たまにしていたが、ハッピーだ!と感じる瞬間はあるものの持続しない。普通が一番。って先輩世代がよく放つ言葉が嫌いだった。でも、受け取り方が違ってたのかも。と最近思ってる。普通という概念を僕は、(多くの人)との比較(多くの人の平均)みたいに受けとっていた。昨今、ただでさえ距離を超えて、世界中の人々の暮らしや生活を知ることができるから、より多くの人々の暮らしと比較し、先述したように他国の不幸な人に比べたら・・・自分の安全を安心し幸福であると思い込むとか、何かしら悪いことがおきると自分の身には降り注いでないから幸福と思い込むことは、きっと多くの人がやっているし、言葉にもしていると思う。 それで済めばまだしも・・・さらに、それがエスカレートして、最近ではネットやTVの向こう側の よく知らない人に対してでも、不幸が起きることを喜ぶようにまでなってき
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