(451日目)履き違えた平等はいらない。
今日、出勤の準備を終えて出かけようとした時に、何かが物足りない気がした。しかしその「物足りなさ」がなんなのか、今の今までまったく分からなかった。そしてこの瞬間気づいたんだ。イヤホン忘れたことに。今日はNo music,No life(音楽聞けないので私のライフはもうゼロよ)状態となったのであった。さて本題。平等って言葉あるじゃないですか。世の中見渡して、この平等という言葉を履き違えている人が目に付くよな〜って感じるんですよ。例えば『企業における女性の役員比率を上げろ!』とか『同一業務なんだから賃金も同じだー』っていう人たちいますけど、それって違うんじゃね?って思います。比率のことを言えば数字だけで帳尻合わせしてるだけじゃないの?って思いますし、同一業務だったとしても成果や実力の違いで収入に差は生まれて然りです。私が考える平等とは<機会の平等>です。要はチャンスがあるかどうかってことです。スタートラインは区別なく同じであって良いでしょう。しかしその後はプロセスや結果に基づいて適切に評価されて対価を得ていくべきだと考えます。(ここで言う対価とは収入・地位・権限・役割のことです)そのチャンスを等しく提供するのは義務化してもいいと思います。しかし、そのチャンスを生かした人間と生かせなかった人間では差が生まれて当然なんです。でないと努力して能力を生かして結果を残した人たちが冷遇されたと感じ、モチベーション・生産性を下げる結果になりますからね。与えられたチャンス・用意されたチャンスをに生かせなければ本人の責任と考えていいと思うんですよ。何でもかんでも過保護にすりゃいいってもんでもないですし
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