この間まで「あれ、首がおかしいな」と思っていたんです。小さくポキポキ音が鳴ったり、ぐきっと変な感覚があったりして「もしかして頸椎に何かあるんじゃないか」と不安になってネットで調べたりもしていました。
でも、その翌週です。今度はアキレス腱が痛くなったんです。歩くのも少し不自由なくらいで、家の中では軽く引きずるような感じになることもありました。「これはちょっと困ったな」と思いながら過ごしていたのですが、さっきふと気づいたんです。
「あれ、首どうした?」
そうなんです。あれだけ気にしていた首のことを、すっかり忘れていました。考えてみれば、ギシギシも言わないし、ポキッと気になる感じもしない。いや、もしかしたら今も多少は鳴っているのかもしれません。でも、少なくとも「気にならない」のです。
これ、なんでなんでしょうね。
結局、人は「気にする対象」をどこかに持ちたがるのかもしれません。何か一つ不安の種があると、それをじっと見つめてしまう。そしてそれが消えると、また別の何かを見つけてくる。まるで順番待ちです(笑)。
そしてもう一つ思ったのは、人はネガティブな「理由」を欲しがるということです。
「調子が出ないのは首のせいかもしれない」
「動きづらいのはアキレス腱が痛いからだ」
そんなふうに、自分の中でうまくいかないことや、少し気が乗らないことに対して、“納得できる理由”を用意してしまう。もちろん体の不調は実際にあるものですし、無視していいものではありません。でも、それ以上に「理由があると安心する」という心理もある気がします。
もし理由がなかったらどうなるか。「ただ何となくやる気が出ない」「特に問題はないけど動けない」これはこれで、少し居心地が悪い。だからこそ人は、どこかに原因を見つけて「だから仕方ない」と自分を納得させるのかもしれません。
たぶんこのアキレス腱の痛みも、また次に何か別の「気になるもの」が現れたら、自然と意識の外に追いやられていくのでしょう。人の意識なんてそんなものです。
もちろん、痛みが長引いたり、日常生活に支障が出るようなら、きちんと病院に行くべきです。でも一方で「今、自分は何を理由にしているのか?」と少しだけ立ち止まってみるのも大切かもしれません。
それが本当に向き合うべき問題なのか、それとも、ただ自分を納得させるための“ネガティブな理由”なのか。
そう考えるだけで、少しだけ見える景色が変わる気がするのです。
首を思い出したら、音が聞こえ始めました!