わたしを縛りつけていた、見えないルール
「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんとできるまで」
「ちゃんとしないと、誰かに迷惑をかける」
この言葉を
何度、自分に言い聞かせてきたかわかりません。
特に誰かに強く言われたわけじゃない。
でも、わたしの中には確かに
「そうしなきゃいけない」
という思いがこびりついていました。
■ 「いい子」でいることが、大切だった
思い返せば、小さな頃から
「しっかりしてるね」
「お姉ちゃん、えらいね」
「いい子だね」
と言われるたびに、
母が嬉しそうな顔をするのが、なによりも印象的でした。
そして、そんな母の喜ぶ顔を見るたびに、
私は、自分の心に
嘘をつくようになっていったのだと思います。
本当は苦しかった。
本当は怖かった。
本当はやりたくなかった。
でも、「いい子」でいることを
無意識に選んでしまっていたのです。
■ 「しっかり者の長女」は、わたしの仮面だった
「お姉ちゃんなんだから」
「しっかりしなきゃ」
「泣かないのがえらい」
そんな言葉に囲まれて育った私は、
気がつけば
“しっかり者の長女” という仮面をしっかりとつけていました。
でも本当の私は、
そんなに強くなんてなかった。
泣きたいときもあったし
誰かに甘えたいときもあった。
でも、その感情に気づくことすら許されなかったのです。
だって
「ちゃんとしなきゃ」いけないから。
■ “ちゃんと”って、誰の基準?
「ちゃんとしなきゃ」という言葉は、
一見すると
“まじめ”
や
“責任感”
のように聞こえるけれど、
その実態は
とてもあいまいで
誰の「ちゃんと」
なのかもわからないまま、
わたしは
その見えない基準に
ずっと縛られて生きてきました。
その基準を守るために
自分の気持ちを押し殺し
本音を引っ込め
「がんばる私」でい続けた結果・・
心はすっかり、疲れきってしまっていました。
■ 「ちゃんとしなきゃ」を手放したら
今のわたしは
少しずつ気づき始めています。
「ちゃんとしてなくても、大丈夫なこと」って、
本当はたくさんあるんだって。
もっと「気楽」にしても
もっと「力」を抜いても
何も崩れやしないということを、
この歳になって
ようやく実感しはじめています。
■ それでも、また「ちゃんと」が顔を出すとき
もちろん今でも
ときどき心の中に「ちゃんとしなきゃ」が顔を出します。
それは、長年染みついた思考のクセのようなものだから、
急には変えられない。
でも、その声が聞こえたとき、
「また出てきたな」
と気づけるようになった。
そして、そんな自分に
「もういいよ」と声をかけられるようにもなってきました。
「ちゃんと」じゃなくて
「わたし」を生きること。
それが
今のわたしがようやく手にし始めた、新しい生き方です。
「ちゃんとしなきゃ」の正体が
自分の思い込みだったと知ったとき
ようやく
息ができるようになった気がしました。
それは
自分の生き方を
選び直す始まりでもありました。