正義のふりをした鬼退治

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鬼退治のふりをして気に入らない相手、近くに存在することで自分が面白くなくなる相手を攻撃する、鬼の心で動く輩って、レベルは些細なところから悪質なところまで色々でしょうが、残念ですけど、そういう輩は何処にでもいると思うんです。
加害者でも被害者でも、あるいはどちらも体験なさったこともあるかもしれません。

軽い同意や加勢でも、そのどちらかに入ります。

ゴミ出し事件があったそうで。
可燃・不燃・缶・ビン・・・など一度にまとめてゴミが出された日があったそうです。
ご近所の主婦があつまり現れた若い女性を取り囲み、物凄い剣幕で文句を言い出したそうです。
1人対5~7人ぐらいだったようなんですが。
そのゴミはうちのゴミではないということと、ゴミは今捨てに来たところなのだと言っても、誰も聞く耳を持たずに、「目撃者はいるんだから」ということで、その方が捨てたと絡み続けたそうです。
警察を呼んで指紋を取ってもらえば良いでしょうと、若い女性は言ったのですが、警察には「ゴミ問題ごときで指紋は取れません」と断られたそうです。
町内の問題には関知しないようです。(地域や相手の社会的地位によるかもしれませんが)
暫くして庭の掃除がてらに道路まで掃除していたお向かいの老人が、「その人じゃないよ、その隣の女の人だよ」と言って、やっと抗議が止まったそうです。それでも、「え?ちがったの」と謝るでもなく集まった主婦は解散したそうなんです。
その翌日、隣の若夫婦の引っ越しがあったそうです。
ランダムに捨てられたゴミはその隣人夫婦のゴミで、引っ越しの前にまとめて捨てたようですね。

情報を気に入らない相手と決めつけて絡む、これは、鬼退治のふりをしたいじめのようなものです。
女性と聞いて、その女性と決めつけるのも異常ですしね。
実際その隣の女性だったようですし。

何か面白くない理由があったのではないかな?と思うんです。
聞くと、その頃、お付き合いしていた相手が派手な車を乗り回していて、すごく目立っていたようなのです。そのためか、日ごろから気に入らない小娘と思われていたのかな?と、その女性はやっと気づいたようです。
何もしなくても反感は買うようですね。
本人は何もしていなくても、反感を買うんです。
なんだか悲しいですね。
突然冤罪で集団に攻撃されるんですから。

機会さえ得れば、畳み込むように攻撃を仕掛けてくる、まともなふりをした、恐ろしい鬼の心で生きる輩が居るということは知っておくべきです。
それは、善良な市民に見える、目立たないごく普通の人の中に居るんです。

善と良識あるはずの人々、普通に見える人々の中に、鬼は存在するんです。
ふとした瞬間に隠していた裏の心が現れるんです。

大義名分の裏に隠した攻撃する心は、妬みや嫉みや、卑しい心から生まれるのではないでしょうか。フラストレーションや鬱憤を正義のふりをできるチャンスにスパークさせるんです。

そうじゃないかもしれないと思いながらも、攻撃者に加勢するのも同じことですよ。

後味の悪さは、攻撃の被害者以上ではなのかな・・・と思うんです。

相手には不快を与え、ひと時は嫌な思いをさせるでしょうが、被害者には確執がありませんから、嫌がらせが続かない限りは、数日すれば忘れてしまうでしょう。毎日がお忙しいでしょうし。

でも、大義名分にこじつけて絡んだ方はというと・・・ご自身の中に確執がありますから、スッキリできないですよね。

何故相手を間違えて絡んでしまったのかを考えるべきですね。
はじめからその隣の女性と聞いていれば、誰にも絡みもしなかったでしょう。
実際、違うと解ってから、その隣人は誰にも文句を言われなかったといいます。

抗議した方たちは本当に、醜い心の方なんだと思いますよ。
心が狭いのではなくて、醜いのです。

人を選んで絡むという振り分けが醜いんです。
隣のご夫婦に社会的な地位があったわけではないそうですから、文句を言い難いわけではなかったそうです。
鬼たちは、地味で目立たない相手には不満はないようなのです。
ちょっとルールに対し誤魔化しがあっても、差ほど文句はないみたいですね。

この問題は、大義名分はさて置き、被害者がターゲットなのです。
言いがかりをつけるチャンスを得たことが発端なのです。
その裏付けは、
犯人が判明しても、犯人には抗議をしなかったことで証明されてしまいましたね。本当に残念ですが。証明されてしまったんです。

鬼の心は、自分が自分らしく生きていないからそうなってしまうのではないでしょうか?
ならば、今から自分らしく生きればいいですよ。
何か努力するとか試みをするとかする方がいいですよ。
嫌なことは嫌と言いましょうよ。
何十年も我慢していると、鬼になっちゃいますよ。
調和は大切ですよ。
でも、犠牲的な我慢が多かったりすると、健やかで楽しそうに見える人を見ると、気分も悪くなるでしょう。
自分と比較してしまいますから。
でも、それは誰かのせいではないですよ。
何もかもご自身の成した結果です。

ご自身の今を昨日とは違う気分で生きましょうよ。
毎日が新しい始まりと思って生きましょうよ。
新しい生活パターンを取り入れたりして、楽しみを作りましょうよ。

まずは人を責める心を消滅させることから始めるとよいですよ。

何もされてもいないのに人を責める「エゴイズム」は最も醜い悪でしかありませんから。
まず、その醜いものを捨ててしまいましょう。

鬼には自らの心も切り刻むような情緒的な美はまだあるんですが、
悪には傲慢な醜さしかありません。

怖くて自分を守るための追い詰められた攻撃と、
邪魔者は蹴落とすだけのエゴイズムの差。
見分け方は、加害者本人が傷ついたかどうか。
傷つくなら鬼であり、傷つかないなら悪なのではないかな?

ルビウスの中ではそういう振り分けにしています。

人を攻撃しても、加害者の環境や問題が改善されることはありません。
ひとつ罪が増えるだけです。
もっと苦しくなってゆくだけです。
真の向上は、自分自身を改革しなくては始まらないんです。
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