映画館でじっくり2時間、ポップコーンを食べながら映像に酔いしれる。
それは現代において贅沢な時間になっている。
なぜならば、映画は「早送り」で見るものになってきているのだ。
まさかそんな、と思いながら読み始めたのが
「映画を早送りで観る人たち」 /稲田豊史 著
動画サブスク全盛期の現代において
映像作品は供給過多。
多忙に端を発するコスパ・タイパ志向で映画制作側も影響が出てきている。
セリフで全て説明する映像作品が増えたのだ。
長い間や、無言の時間が言葉よりも気持ちがよく伝わる。
そう思っていた。
今や「言わなきゃわかんない」という時代だ。
私自身、早送りをしたことがないと言えば嘘になる。
サブスクで映画やドラマを見ている時
スパイ活動がバレそうになった時(Wフェイスはひやひやした)
自分が犯人ではないのに真犯人にはめられてしまった時(ゴールデンスランバーはきりきりした)
見ていられない!というシーンは飛ばし飛ばし見て
大丈夫そうなら戻ってみる、などしている。
いわゆる共感性羞恥がゆえ、耐えられなくなってしまうのだ。
早送りボタンのおかげで助かっている側面も否めない。
辛いシーンや、悲しい出来事は飛ばされがちだそうだ。
せっかく時間を使うのに、マイナスな感情になりたくないという思考。
その感情が作品のスパイスとなり、最後のまとめで効いてくるのだが、
早送りでは話の筋がわかればいいので関係がない。
一概に早送りをすることがすべていけないこと、ではない。
ニュースや学習においては1.5倍速でも事足りる。
エンタメ系は早送りすることでしか、コンテンツを消化できない時代になったのだ。
大学生は特に、話題についていくことに必死だ。
何かしらのオタクになりたいと思っている、と著書には書かれていた。
そのためには早送りやファスト映画(違法)に手を出してしまう。
生まれてから動画に慣れ親しんだ彼らは早送りに抵抗はないだろう。
早送り前提コンテンツが生み出され続けていることが問題なのだ。
私たち大人ができることはなんだろうか。
単に早送りをするな、だけでは彼らには通じない。
早送りされても理解できる作品を作る、も一つの手ではある。
しかし、早送りさせないクリエイティブを生み出すことが重要ではないかと思う。
早送りしてしまうと損をする、間を楽しむ、作品をじっくり楽しむ快感を「体験」できれば考え方も変わるかもしれない。
光の速さで消費されていくコンテンツ。
その中の何か一つでも、彼ら・彼女らの心に残って
未来を生きる一つの糧となるものを生み出せるよう、私たちクリエイターは精進しようと思わされた新書であった。