いじめによって我が子が学校に通えなくなったとき、親の頭には様々な不安や固定概念が渦巻きます。
「不登校の期間ずっと、いじめの苦しみに耐え続けているのでは……」
「無気力になって、家で何もしていないのでは……」
「勉強がどんどん遅れているのでは……」
「親に八つ当たりばかりしているのでは……」
これらはすべて、かつて私が抱いていた固定概念でした。しかし、実際に子どもが不登校になり、その歩みを振り返る中で、不登校とは一律に「止まっている状態」ではなく、明確な変容の段階(フェーズ)を踏んで進んでいくものだと気づきました。
現在、不登校の段階について、5段階や6段階、7段階とさまざまな情報が飛び交っています。ベースはだいたい同じだと感じています。
我が子の記憶をたどりながら見えてきた、第1段階から第7段階までの変容と、その時々に親が感じた現実を、子どものハラスメント研究所として独自に分析したことをお伝えします。
第1段階:不安定期(後悔、不安、恐怖、パニック、絶望)
学校を休めたものの、「これは一時的なものか? 次に行ったら仕返しされるかもしれない」「いじめをカミングアウトしてしまった後悔」で頭がいっぱいになる時期です。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう…」
子どもは家の中でも落ち着かなく固まっていました。悪夢を見たり、起きていても幻聴のような声(「〇ね、学校に来るな、来たら殴ってやる」など)に脅かされている様子がありました。ひどい時は、「〇ね」と言われたけど、〇に方が分からなくて困っていると落ち込んでいた時もありました。
【親としてできること:安全の確保】
まずは学校という危険から完全に切り離し、「安全であること」「学校に行くことは考えなくてよいこと」「ゆっくり休んでよいこと」を伝えました。
学校側に安全確保の対応(加害児童への制限など)を確認しましたが、学校や教育委員会からは「加害も被害も同じ児童だから制限できない」「道徳の授業に力を入れ、成果は数年後を見込む」といった、現実的ではない返答しか得られませんでした。
これでは安全が確保できたとは言えず、子どもにも「通っても大丈夫」とは言えません。「もう学校には行く必要はない」と伝えたとき、子どもは心からほっとした表情を浮かべました。
第2段階:反動期(過剰な自信、攻撃的、虚勢)
不登校になって2ヶ月ほど過ぎる頃、精神的に落ち着きを取り戻し、意欲的になってきました。同時に、攻撃的な表現や、「自分は強い」という虚勢を張る言動が目立ち、「学校に行けるような気がする」と言い出します。
精神科での勤務経験から、私は「沈んだ後の立ち上がりが最も慎重になるべき時期」だと知っていました。
【理想と現実の差を伝える】
「学校に行けば加害児童がいる。完全に会わないことは保証されていない。もし鉢合わせになったらどんな気持ちになる?」
簡単なシミュレーションをしただけで、子どもは言葉が詰まり、緊張の色を隠せませんでした。
それからは、自宅で過ごしながら、時々友達と遊ぶような生活が続きました。
第3段階:受容(ライフスタイルの確立)
不登校から4ヶ月目になると、新しい生活スタイルが定着していました。
学校に通っていないだけで、家では学校の時間割を参考にして自分で勉強の時間を確保していました。その甲斐あって、学習面や体力の衰えはありませんでした。
しかし、1年が経過して転校した際に見えてきたのは、不登校によってダメージを受けていたのは「学習」ではなく「コミュニケーション能力(経験値)」であるという事実でした。
第4段階:挑戦と戸惑い
新しい学校への1年ぶりの通学。再スタートを切るものの、理想と現実のギャップに直面し、不登校の揺り戻しを何度も繰り返しました。
第5段階:諦め
不登校から3年目の頃には、「学校に行かなくても家で勉強はできる」「生活面で困ることもない」「友人関係で悩むこともない。だから学校に行く理由がない」という心境に至っていました。
第6段階:拒絶と再挑戦
再び引っ越しを機に、熱血な担任の先生に出会いました。
週1回1時間の別室授業から始まり、2キロの道のりを一緒に徒歩で登校する計画がスタートしました。
しかし、学校の直前で休み時間の子供たちの遊んでいる声を聞いた瞬間、「私、帰る」と突然興奮し始めることもありました。そんなときは「どうぞ、ママは先生に途中で帰りましたって報告するために学校に行くから」とあえて突き放しました。
「もう、信じらんない!」と怒りながらも、「行けばいいんでしょ!」と私を追い越して登校していく姿もありました。
この時、この子は咄嗟に感情面が先に出ても、どうするべきか判断できるようになったと確信しました。
担任の先生が常に付きっきりで、少人数の同級生とコミュニケーションをとらせてくれたおかげで、週3日の午前中登校ができるようになり、「学校が楽しい」と思えるようになっていきました。
(余談ですが、子どもが授業中の間、私は自宅に帰るので学校を2往復していました。おかげで運動習慣のなかった私はトータル8キロ歩くことになり、私自身の体力がものすごくつきました。)
第7段階:自己肯定感(経験からの自信)
さらに引っ越しを経験し、新しい転校先では、何事もなかったかのようにすんなりとクラスに溶け込みました。
最初の1ヶ月は物に当たったりイライラが見られ、「学校でうまくいっていないのだろう、悪化するなら仕方ない」と見守っていましたが、数週間後にはすっかり笑顔を取り戻していました。
当時の担任の先生との面談では、「一時的に友達との距離感で孤立しかけたけれど、自分で乗り越えましたよ」と言われました。トラブルを乗り越え、子ども自身が「経験からの自信」を掴んだ瞬間でした。
子どもは振り返ってこう言いました。
「いじめを経験して、学校の先生でも嘘をつく人(守ると言って守ってくれなかった人)がいると分かった」
「不登校のときは気づかなかったけど、学校の授業ってこんなに楽しいんだと思った。学校に普通に行けるようになるなんて想像していなかった。」
2人の子どもの不登校の経験から見えたもの
我が子2人を育てる中で、不登校の捉え方について確信したことがあります。
1人目の子は不登校期間が長かったため、学習面は自宅学習でカバーできたものの、「コミュニケーションのIQ(集団生活の経験値)」が小学校2年生の段階で止まってしまうという課題に直面しました。その補う手段として、私は「学習をしっかりやり、自分の時間の使い方を確保して自信をつけること」が最善だと考えました。
2人目がいじめで不登校になったときは、コミュニケーションへの影響を防ぐため、1ヶ月強で早期の転校手続きを取りました。しかし今度は、不登校期間が短かった反面、1ヶ月間学習から離れた負荷や警戒心から被害モードが強く、第2〜第4段階の間で激しい混乱が生じました。この頃、小学1年生で文章による表現ができなかったので、絵を書いて、泣いている自分の顔や家族の顔を書いて塗りつぶして感情を爆発させていました。「不平不満ノート」が誕生しました。第5段階と第6段階では「どうして自分ばかり転校しなくちゃいけないのか」「いじめた子は普通に歩いて登校しているのに」という不満や比較を経て、第7段階に到達しました。このころになると、「不平不満ノート」が、カラフルになり、家族の顔を塗りつぶしたのはよくなかったと言って消そうとしていました。現在は、「ご機嫌ノート」と呼んでいて、嬉しい事や、楽しい事があったら、ときどき、開いて楽しそうに書いています。
結論:今、できることが最善
いじめによる不登校のなかでも、子どもには段階的に成長する力があるということを、私は子どもたちから教えられました。
支える家族にとっても、不登校には段階があり、それぞれの期間で「できること」「待つこと」「次に何が待っているのか」を予測できるようになると、過剰に恐れる必要がなくなります。
再登校や転校がゴールというわけではありません。不登校の期間の中で学ぶこともたくさんありますし、かといって学校の存在自体を否定するものでもありません。
子どもにとっても、家庭にとっても、「今、できること」を一つずつ選んでいくこと。それこそが、どんな状況にあっても一番の最善の道であり、間違いではありません。
お願い
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
子どものハラスメント研究所では、日々の体験と実践的な分析を重ねています。
悩んだこと、困ったことの中には、必ず「次に生かすための回避策や改善策」があると信じているからです。私たちの試行錯誤が、同じ悩みを抱える方にとっての確かな「再現性のある道標」となることを目指しています。
より精度の高い分析と支援をお届けするためには、皆様のリアルな声が必要です。どうか、お声をお聞かせください。よろしくお願いいたします。
【子どものハラスメント研究所】