施工会社の実務を知る立場から考える、損害額立証の難しさ
はじめに―国土交通省の検討会で浮上した損害賠償の問題
2026年9月28日、公正取引委員会は、関東地区のマンション大規模修繕工事を巡る談合問題について、関係事業者に排除措置命令などを出しました。
今回の問題では、管理組合から委託を受けた設計コンサルタント業者などが、施工業者の受注調整に関与していたとされています。
この問題の背景や、設計コンサルタントと施工業者の関係、管理組合が抱える課題については、以前のコラムでも取り上げましたので、今回は詳細な説明を省略します。
その後、(2026年)10月19日に国土交通省が開催した大規模修繕工事の発注適正化に関する検討会では、談合の下で工事が行われた管理組合から、施工業者への損害賠償請求について相談が寄せられていることも紹介されたと報じられています。
確かに、談合によって損害を受けたのであれば、その賠償を求めることは当然考えられます。
しかし、私はここで一つ疑問を投げかけたいと思います。
**「損害賠償を請求すればよい」と言うのは簡単ですが、そもそも、その損害額をどのように算定するのでしょうか。**
私はマンション管理会社で管理組合の運営支援に携わり、現在は大規模修繕工事の施工管理を行っています。
施工会社の実務を知る立場からすると、この損害額の算定は、一般に考えられている以上に難しい問題だと感じています。
1.談合が認定されたことと、損害額が確定することは別問題
まず、法律上の整理をしておきましょう。
独占禁止法第25条では、一定の独占禁止法違反行為を行った事業者について、被害者に対する損害賠償責任が定められています。
また、民法第709条に基づく不法行為責任を追及することも考えられます。
したがって、談合によって損害を受けた管理組合が、関係事業者に対して損害賠償を請求すること自体は、法律上可能です。
しかし、ここで注意したいのは、公正取引委員会による談合の認定と、個々の管理組合が被った損害額の確定は別の問題だということです。
例えば、あるマンションが大規模修繕工事を1億円で発注していたとします。
その工事について談合が認定された場合、管理組合の損害額はいくらになるのでしょうか。
1億円全額ではありません。
実際に工事は行われ、建物の修繕という成果が得られているからです。
問題になるのは、談合がなければ成立していたであろう工事価格と、実際の契約金額との差額です。
しかし、その「談合がなければ成立していた価格」を、誰がどのように算定するのでしょうか。
ここに、今回の問題の難しさがあります。
2.建設工事には、誰もが共通して使える「定価」がない
一般的な商品であれば、メーカー希望小売価格や市場での販売価格など、価格を比較するための指標があります。
しかし、マンションの大規模修繕工事はそう単純ではありません。
同じ工事仕様書に基づく工事であっても、施工会社によって見積金額は異なります。
例えば、外壁塗装工事を考えてみましょう。
塗装業者A社は、取引先の材料販売店を通じて、塗料メーカーX社の製品を有利な条件で仕入れられる一方、塗装業者B社は、別の塗料メーカーY社の製品を有利な条件で仕入れられるかもしれません。
防水工事でも同様です。
防水業者A社は防水材メーカーX社の製品を得意とし、防水業者B社は別のメーカーY社の製品を有利な条件で仕入れられる、といった違いが考えられます。
もちろん、使用材料は工事仕様書によって指定される場合もありますが、同等品の採用が認められる場合には、メーカーや仕入先の違いが工事原価に影響することがあります。
そして、違いが生じるのは材料費だけではありません。
協力会社に支払う労務費、職人の手配状況、現場管理費、会社の利益率なども、それぞれ異なります。
**同じマンションで同じ工事を行うとしても、施工会社によって原価が違うのです。**
3.同じ元請施工会社でも、営業担当者によって見積金額が変わり得る
さらに、施工会社ごとの差だけではありません。
同じ元請施工会社であっても、営業担当者や積算担当者によって、見積金額に違いが生じることがあります。
例えば、防水工事の見積もりを作成する際、担当者Aさんは日頃から取引のある防水業者X社に見積もりを依頼する。
一方、担当者Bさんは、別の防水業者Y社に見積もりを依頼する。
どちらも施工能力に問題がないとしても、材料の仕入条件や職人の確保状況、利益率などが異なれば、当然ながら提示される金額も変わります。
営業担当者が、日頃から信頼している協力会社に見積もりを依頼することは、実務上、珍しいことではありません。
価格だけでなく、施工品質、職人の技量、現場での対応力、過去の取引実績なども、協力会社を選定する際の判断材料になるからです。
つまり、同じ元請施工会社でも、誰が担当するかによって工事原価が変わり、最終的な見積金額にも影響する可能性があります。
さらに、施工会社の受注状況によっても、利益率の設定は変わり得ます。
仕事を確保したい時期であれば利益率を抑えて応札することも考えられますし、すでに多くの現場を抱えている時期であれば、無理に安い金額で受注しようとはしないでしょう。
**同じ工事について、唯一の正しい見積金額が存在するわけではないのです。**
4.「第三者の施工会社に見積もりを出してもらえばよい」は現実的なのか
では、談合に関与していない第三者の施工会社に、当時の工事内容で改めて見積もりを作成してもらえばよいのでしょうか。
私は、これも現実的には相当に難しいと考えています。
ここで、施工会社に勤務する立場として、ぜひ知っていただきたいことがあります。
**そもそも、工事の見積もりは無料ではありません。**
一般的に、施工会社は工事の見積書を提出する際、別途見積作成費用を請求しないことが多いでしょう。
しかし、それは見積もりの作成に費用がかかっていないからではありません。
工事を受注できる可能性があるからこそ、受注に至らなかった場合のリスクも承知のうえで、施工会社がその費用を負担しているのです。
いわば「損して得取れ」という営業活動の一環です。
大規模修繕工事の見積もりを作成するには、現地調査、図面や仕様書の確認、工事数量の拾い出し、専門工事業者への見積依頼、施工計画の検討など、さまざまな作業が必要になります。
当然ながら、担当者の人件費がかかります。現地調査に出向けば交通費も発生しますし、協力会社との調整にも時間と経費がかかります。
**見積書の提出時に費用を請求していないことと、見積書を無料で作成できることは、まったく別の話なのです。**
それでは、すでに何年も前に完了した大規模修繕工事について、損害賠償請求の資料に使用するためだけに見積もりを作成してほしいと依頼されたらどうでしょうか。
その施工会社にとって、当該工事を受注できる可能性はありません。
受注につながらないにもかかわらず、人件費や経費を負担してまで本格的な見積もりを作成する合理的な理由は乏しいでしょう。
私自身、施工会社に勤務する人間として考えても、そのような依頼を通常の営業活動として無償で引き受けることは考えにくいと思います。
もちろん、有償で第三者の積算会社などに依頼する方法はあります。
しかし、そうなると、談合の被害を受けた管理組合が新たに調査費用を負担する必要があります。
しかも、その積算結果が、談合のなかった場合の落札価格を証明するものになるとは限りません。
5.第三者による積算価格と、本来の落札価格は同じではない
仮に、第三者の積算会社が当時の工事内容を調査し、「この工事の適正な積算価格は1億2,000万円程度だった」と算定したとします。
一方、談合の下で成立した実際の契約金額が1億円だったとしましょう。
この場合、管理組合は2,000万円安く工事を発注できたことになるのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
談合がなければ、競争によって9,000万円で発注できた可能性もあります。
反対に、当時の施工会社の受注状況や原価構造によっては、1億円を超える金額でなければ応札しなかった会社もあったかもしれません。
ここで重要なのは、**第三者による積算価格と、実際の競争入札によって成立する価格は別のもの**だということです。
建設工事には統一された定価がありません。
施工会社ごとに原価が異なり、利益率も受注意欲も異なります。
したがって、第三者がどれほど精緻に工事費を積算したとしても、その金額が、談合のなかった場合に成立したであろう落札価格と一致する保証はありません。
さらに言えば、談合の下で成立した契約金額が、一般的な積算価格より安いというケースも考えられます。
もちろん、それだけで談合による損害がなかったことにはなりません。
しかし、実際の契約金額が高かったのか安かったのかを、一般的な積算価格との比較だけで判断することもできないのです。
**問題は、談合の下で成立した契約金額が高いか安いかではなく、談合がなければ成立していたであろう価格との差額です。**
そして、その価格は、実際には存在しなかった仮定の価格なのです。
6.弁護士に相談すれば、損害額の問題は解決するのか
損害賠償請求を検討するのであれば、弁護士への相談は当然考えられます。
しかし、ここでも一つ疑問があります。
**法律の専門家である弁護士が、マンション大規模修繕工事の適正な工事費まで判断できるのでしょうか。**
もちろん、建設工事紛争やマンション管理、独占禁止法に詳しい弁護士は存在します。
しかし、法律に詳しいことと、実際の建設工事の原価構造や積算実務に詳しいことは、必ずしも同じではありません。
例えば、外壁塗装工事一つを取っても、使用する塗料のメーカーや材料販売店との取引条件、施工を担当する協力会社によって原価は変わります。
防水工事でも、材料の仕入条件、施工業者の得意とする工法、職人の確保状況などによって見積金額が異なります。
さらに、同じ元請施工会社であっても、営業担当者や積算担当者がどの協力会社に見積もりを依頼するかによって、工事原価が変わることがあります。
こうした実務上の事情を、弁護士がすべて把握しているとは限りません。というかそもそも建築実務をやっている、知り尽くしている弁護士なんて正直いないと思いますね。いたらすみません。
では、建築積算や大規模修繕工事に詳しい専門家を別途起用すればよいのでしょうか。
確かに、専門家による工事費の分析は、損害額を推計するための有力な資料になり得ます。
しかし、専門家が算定するのは、一定の条件を前提とした積算価格です。
それが、談合のなかった場合に実際の競争入札で成立したであろう価格と一致するとは限りません。
そもそも、どの施工会社が落札したのかさえ、談合がなかった場合には分からないのです。
そして、弁護士だけでなく建築積算の専門家まで起用するのであれば、管理組合にはさらに費用負担が生じます。
**弁護士に依頼すれば、損害賠償請求という法的手続きを進めることはできるかもしれません。しかし、それによって「本来の工事価格はいくらだったのか」という問題が自動的に解決するわけではないのです。**
7.損害額の厳密な立証が難しくても、裁判所が認定する制度はあるにはあるが・・・
もっとも、ここまでの話だけで「損害賠償請求は不可能だ」と結論付けるのは正確ではありません。
民事訴訟法第248条には、損害が生じたことが認められるものの、損害の性質上、その額を立証することが極めて困難な場合、裁判所が証拠や弁論の全趣旨に基づいて相当な損害額を認定できる規定があります。
また、談合による損害額については、他の入札結果との比較や経済的な分析など、複数の資料を用いて推計する方法も考えられます。
したがって、当時の競争価格を正確に再現できないからといって、必ずしも損害賠償請求が認められないわけではありません。
ただし、裁判所が何の根拠もなく損害額を決めてくれるわけではありません。
管理組合として、損害の発生を裏付ける資料を収集し、合理的な推計を示す必要があります。
また、どのような資料が利用できるのか、どの程度の損害が認められるのかは、個々の事件によって異なります。
**法律上の救済制度が存在することと、管理組合が現実に十分な賠償金を回収できることは、別問題なのです。**
8.損害額が分からなければ、訴訟の費用対効果も判断できない
仮に管理組合が損害賠償請求を検討するとしても、問題は損害額の算定だけではありません。
弁護士への相談、資料の収集、専門家による分析、管理組合内部での意思決定など、さまざまな手続きが必要になります。
マンションの理事会役員は、多くの場合、区分所有者の中から選任された一般の方々です。
日常の仕事や家庭生活がある中で、管理組合の運営に携わっています。
そうした理事会が、何年も前の大規模修繕工事について、専門的な資料を集め、損害額を検討し、訴訟を進めていくことは容易ではありません。
また、訴訟が長期化すれば、その間に理事会役員が交代することもあるでしょう。
さらに、弁護士費用や専門家への調査費用を支払っても、請求額の全額が認められる保証はありません。
ここには、ある種の矛盾があります。
**損害額を明らかにするためには費用が必要。しかし、損害額が分からなければ、その費用をかけてまで請求する価値があるのかも判断できないのです。**
場合によっては、費用対効果を考慮した結果、管理組合が損害賠償請求を断念するという判断も十分に考えられます。
しかし、それを単純に管理組合の怠慢だと批判することはできないと思います。
不正によって損害を受けた可能性のある管理組合が、その損害を証明するために、さらに費用と労力を負担しなければならない。
この構造自体に、被害回復の難しさがあると感じます。
9.国土交通省には、再発防止だけでなく被害回復の現実にも目を向けてほしい
今回の国土交通省の検討会では、管理組合が安心して大規模修繕工事を発注できる環境整備について議論が進められる予定です。
もちろん、談合を防ぐための仕組みづくりは重要です。
しかし、すでに談合の被害を受けた可能性のある管理組合について、どのように損害を回復できるのかという問題も、同じくらい重要ではないでしょうか。
公正取引委員会が談合を認定しても、管理組合が被った具体的な損害額まで自動的に算定されるわけではありません。
また、課徴金が国に納付されたとしても、そのお金が被害を受けた管理組合にそのまま分配される制度ではありません。
管理組合が損害の回復を求めるのであれば、別途、法的な対応を検討する必要があります。
そのためには、必要資料の収集方法や損害額の推計方法、専門家への相談体制などについて、管理組合が利用しやすい支援が求められます。
**「談合が認定されたのだから、損害賠償を請求すればよい」と言うだけでは、現実的な解決にはならないのです。**
おわりに―「請求できる」と「回収できる」の間にある大きな壁
今回の談合問題について、関係事業者の責任が厳しく問われるべきであることに異論はありません。
しかし、損害賠償請求の現実を考えると、法律上の請求権が存在することだけで、被害を受けた管理組合が救済されるとは限りません。
建設工事の見積金額は、施工会社の原価構造、協力会社との取引関係、材料の仕入条件、担当者の判断、受注状況などによって変動します。
そもそも、談合がなければ成立していたであろう価格は、実際には存在しなかった仮定の価格です。
その金額を後から合理的に推計することは、施工会社の実務を知る立場から考えても、極めて難しいと感じます。
そして、損害額の算定が難しいからこそ、被害回復には多くの時間と費用が必要になる可能性があります。
**談合を認定することと、被害を受けた管理組合が実際に損害を回復することの間には、大きな隔たりがあるのです。**
今回の国土交通省の検討会が、再発防止策の検討だけでなく、被害を受けた管理組合が現実に利用できる救済の仕組みを考える契機になることを期待しています。
筆者について
1級ファイナンシャル・プランニング技能士、マンション管理士、宅地建物取引士。
マンション管理会社で管理組合の運営支援に携わった後、現在は建設会社でマンション大規模修繕工事の施工管理に従事。
マンション管理と修繕工事の両方の実務経験を踏まえ、マンション購入時の資金計画や管理状況に関する相談サービスを提供しています。
マンション購入相談:
### 参考資料
- 公正取引委員会(2026年9月28日)関東地区のマンション大規模修繕工事を巡る排除措置命令等
- 国土交通省(2026年10月19日)マンション大規模修繕工事の発注等の適正化に関する検討会
- 独占禁止法第25条・第26条
- 民事訴訟法第248条