はじめに―法律上の説明は分かる。しかし、実務はそう単純ではない
先日、Yahoo!ニュースに掲載されたファイナンシャルフィールドの記事を読みました。
記事のタイトルは、「マンションで子どもが全階ボタンを押して遊び、管理組合から『修理費12万円』が発生したと報告!」というものです。
記事では、エレベーターの修理費12万円を50世帯で負担すると1世帯あたり2,400円になることや、子どものいたずらによって共用部分が破損した場合の損害賠償責任について、民法の条文を交えながら解説しています。
確かに、法律上の説明としては、おおむね理解できる内容です。
しかし、私はこの記事を読んで、率直に違和感を覚えました。
**「実際にマンション管理会社でフロント業務を経験した人なら、まず別の対応方法を考えるのではないだろうか」**
ということです。
私は以前、マンション管理会社で管理組合の運営支援を担当していました。
その経験からすると、今回のような事案で、いきなり「管理組合が負担するのか、それとも保護者に損害賠償請求するのか」という議論を始めることには違和感があります。
なぜなら、実際のマンション管理現場では、**管理組合が加入する保険を利用して解決できないか、という検討が重要になるからです。**
今回の記事は法律上の責任関係を説明していますが、保険を活用した実務上の処理には触れていません。
もちろん、記事の執筆者がマンション管理の実務を知らないと断定することはできません。
しかし、少なくとも記事の内容からは、実際の管理現場でどのような対応が行われるのかという視点が十分に反映されているとは感じられませんでした。
今回は、私自身が過去に経験した類似事案も交えながら、法律論だけでは見えてこないマンション管理の実務について解説したいと思います。
1.実務家なら、まず「12万円の内訳」を確認する
私が今回の記事で最初に疑問を感じたのは、修理費12万円という金額そのものです。
そもそも、エレベーターの全階ボタンを押しただけで、12万円もの修理費が発生するのでしょうか。
エレベーターのボタンは、利用者が押すことを前提に設計されています。
もちろん、ボタンを強くたたいたり、操作盤を破損させたりしたのであれば話は別です。
しかし、単に全階ボタンを押したというだけであれば、それが故障の直接的な原因になったのか、疑問が残ります。
私が管理会社のフロント担当者であれば、まずエレベーター保守会社に連絡し、修理報告書や請求明細を確認します。
具体的には、どの部品が故障したのか、部品交換を行ったのか、緊急出動費用が含まれているのか、経年劣化や保守点検の状況に問題はなかったのか、といった点です。
さらに、エレベーターの保守契約の内容も確認します。
フルメンテナンス契約であれば一定の部品交換や修理が契約料金に含まれている場合がありますし、POG契約であれば別途費用が発生する場合があります。
もちろん、いたずらなどによる破損は、フルメンテナンス契約であっても対象外となることがあります。
**実務上は、誰に12万円を負担させるかを議論する前に、そもそも12万円が何の費用なのか、その請求は妥当なのかを確認するのです。**
この段階を飛ばして費用負担の公平性を論じても、問題の本質は見えてこないと思います。
2.マンション管理の現場では、個人賠償責任保険を確認する
そして、次に確認するのが保険です。
マンション管理組合が加入するマンション総合保険には、居住者向けの個人賠償責任補償特約が付帯されている場合があります。
個人賠償責任保険は、日常生活において他人の財物を破損させるなどして、法律上の損害賠償責任を負った場合に、その損害を補償するものです。
例えば、子どもが遊んでいて他人の物を壊してしまった場合などが典型的な例です。
今回のように、子どもの行為によってマンション共用部分が破損し、法律上の損害賠償責任が成立するのであれば、保険による対応を検討する余地があります。
もちろん、すべてのマンションで個人賠償責任補償が付帯されているわけではありません。
また、補償対象者の範囲や、管理組合に対する賠償の取り扱い、故意による損害など、保険契約によって確認すべき条件があります。
したがって、必ず保険が適用されるとは限りません。
それでも、**実務上、個人賠償責任保険による解決が可能かどうかを検討することは、非常に重要な対応の一つです。**
元記事では、管理組合が修理費を負担するか、原因者側に損害賠償を請求するかという問題が中心になっています。
しかし、管理組合のフロント業務を経験した立場からすると、その前に保険の適用を確認するという発想が欠けていることが気になります。
3.私が実際に経験した、子どものいたずらによる共用部分の破損
ここで、私自身がマンション管理会社に勤務していた頃の経験を紹介します。
あるマンションで、管理員室が設けられている独立した棟の壁を、子どもがいたずらによって一部損傷させたことがありました。
壁の一部が破損しており、石膏ボードと壁紙(クロス)の張り替えによる復旧が必要な状態でした。
共用部分の破損ですから、当然ながら管理組合として復旧する必要があります。
しかし、特定の子どもの行為による破損である以上、管理組合が修理費をそのまま負担するという処理が適切とは限りません。
そこで当時、管理組合が加入していたマンション保険に付帯する個人賠償責任補償を利用して対応しました。
保護者にも事情を説明し、子どもの行為について反省していただくとともに、今後同じようなことが起こらないよう指導をお願いしました。
そして、保険による処理を進め、最終的には石膏ボードとクロスを張り替えて復旧しました。
このとき、管理組合が子どもの保護者に対して、修理費を直接請求するための訴訟を起こすようなことはしていません。
保険を活用することで、共用部分の復旧と費用負担の問題を処理することができたのです。
**これは机上の法律論ではなく、私が実際に管理会社のフロント担当者として経験した対応です。**
もちろん、今回のエレベーターの事案とは損傷の内容が異なります。
しかし、子どものいたずらによって共用部分が破損し、その費用負担が問題になるという点では共通しています。
こうした経験があるからこそ、今回の記事を読んで、まず保険による対応を考えたわけです。
4.法律上の損害賠償責任と、実際の費用処理は分けて考える
元記事では、民法第709条、第712条、第714条などを挙げ、子どもや保護者の損害賠償責任について説明しています。
民法第709条は、不法行為による損害賠償責任を定めた規定です。
また、子どもに責任能力がない場合には民法第712条によって本人が責任を負わないことがあり、その場合には民法第714条に基づき、一定の条件で保護者などの監督義務者が責任を負うことがあります。
これらは法律上、重要な論点です。
しかし、ここで区別して考えたいことがあります。
**誰に損害賠償責任があるのかという問題と、実際に誰のお金で修理費を支払うのかという問題は、必ずしも同じではありません。**
法律上の損害賠償責任が成立していても、その賠償金が個人賠償責任保険によって補償される場合があります。
その場合、管理組合が原因者側に直接金銭を請求して回収するという方法を取らなくても、保険を利用して金銭的な解決を図ることができます。
また、保険による処理にあたっては、保険会社との調整や、必要に応じた示談書・確認書などの作成が行われる場合もあります。
私が経験した事案でも、保護者への説明や再発防止のお願いを含めて対応しました。
こうした実務上の処理を踏まえると、単に民法の条文を説明するだけでは、実際の解決方法を十分に伝えられないと思います。
5.管理組合が支払った修理費は「求償」するものなのか
元記事では、管理組合がいったん修理費を支払った後、原因者へ求償する方法も考えられると説明しています。
ここも法律上、少し整理が必要です。
管理組合が管理する共用部分が破損し、その損害について原因者に責任がある場合、基本的には民法第709条などに基づく損害賠償請求の問題となります。
一方、求償という言葉は、他人の負担すべき債務を弁済した場合や、複数の責任者間で負担を調整する場合などに用いられます。
管理組合が自らの共用部分の修理費を支払ったことだけで、当然に求償権が発生するわけではありません。
また、管理組合自身の財物損害を補償する保険から保険金が支払われた場合には、保険法第25条に定める請求権代位が問題になることがあります。
これは、保険会社が保険金を支払うことによって、一定の範囲で被保険者の第三者に対する損害賠償請求権を取得する仕組みです。
ただし、原因者側の個人賠償責任保険による補償と、管理組合自身の損害保険による補償では、法律関係が異なります。
このように、損害賠償請求、求償、保険による補償は、それぞれ区別して考える必要があります。
6.保険で解決しても、保護者への注意や再発防止は必要
保険によって修理費用が補償されたとしても、それだけで管理組合としての対応が終わるわけではありません。
子どものいたずらが原因で共用部分が破損したのであれば、保護者に事情を説明し、子どもへの指導をお願いすることも重要です。
実際に私が経験した事案でも、保険による金銭的な処理とあわせて、保護者に子どもの行為について注意していただくようお願いしました。
必要に応じて、示談書や確認書などを取り交わすことも考えられます。
ただし、保険会社の承認を得ずに賠償額や示談条件を確定させることは避けるべきでしょう。
管理組合の目的は、原因者を必要以上に責めることではありません。
共用部分を元の状態に復旧し、管理組合の財産を守り、再発防止につなげることです。
**保険による金銭的な解決と、保護者への注意・再発防止のお願いを両立させることが、実務上は重要だと考えます。**
7.「50世帯で2,400円ずつ負担」という説明も、実際の管理会計とは違う
もう一つ、元記事で気になったのが、修理費12万円を50世帯で割ると1世帯あたり2,400円になるという説明です。
確かに、計算としては間違っていません。
しかし、実際のマンション管理組合の会計処理は、通常そのようなものではありません。
管理費会計から12万円を支出したとしても、各世帯に2,400円ずつ追加請求するわけではありません。
通常は、すでに徴収している管理費から支出します。
また、管理費等の負担割合は管理規約に基づいて決められるため、全住戸が均等に負担しているとも限りません。
記事の説明は、住民全体の経済的負担を分かりやすく表現したものだと思います。
しかし、管理組合の会計実務を正確に説明しているわけではありません。
この点も、実際に管理会社のフロント業務を経験している立場からすると、少し違和感を覚えるところです。
おわりに―法律を知っていることと、管理実務を知っていることは違う
今回のファイナンシャルフィールドの記事は、民法上の損害賠償責任について考えるきっかけとしては意味のある内容だと思います。
しかし、マンション管理会社で実際にフロント業務を経験した私からすると、実務上の対応について重要な説明が抜け落ちていると感じました。
特に、個人賠償責任保険による対応という、現実的な解決方法に触れられていない点は気になります。
私自身、子どものいたずらによってマンション共用部分の壁が破損した事案を経験し、管理組合が加入する保険を利用して復旧したことがあります。
その経験からすると、今回のような事案でも、まず保険の適用可能性を検討することになると思います。
もちろん、保険が必ず適用されるわけではありません。
故障原因や損害の内容、保険契約の条件によっては、保険による解決ができない場合もあります。
また、今回のエレベーターについては、そもそも全階ボタンを押したことが故障の原因なのか、12万円という修理費が何に対する費用なのか、確認すべき点も残っています。
それでも、**管理組合が修理費を負担するか、保護者に損害賠償請求するかという二者択一で考えるのは、実際のマンション管理の現場とは少し違う**と思います。
法律上の責任を整理することは重要です。
しかし、それと同じくらい重要なのが、実際に問題を解決するための方法を知っていることです。
**法律を知っていることと、管理実務を知っていることは、必ずしも同じではありません。**
今回の記事を読んで、改めてそう感じました。