「普通」からはみ出した女性たちへ。 ーパルムドールが選んだ、型にはまらない生き方。

「普通」からはみ出した女性たちへ。 ーパルムドールが選んだ、型にはまらない生き方。

記事
コラム
カンヌ国際映画祭の最高賞・パルムドール。


世界中の映画人が憧れるこの賞を、
わたしはこれまで

「バートン・フィンク」(コーエン兄弟)、
「パルプ・フィクション」(クエンティン・タランティーノ)、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー)、
「エレファント」(ガス・ヴァン・サント)、
「華氏911」(マイケル・ムーア)、
「ツリー・オブ・ライフ」(テレンス・マリック)、
「アデル、ブルーは熱い色」(アブデラティフ・ケシシュ)、
「万引き家族」(是枝裕和)、
「パラサイト」(ポン・ジュノ)、
「TITANE/チタン」(ジュリア・デュクルノー)、
「落下の解剖学」(ジュスティーヌ・トリエ)、
「アノーラ」(ショーン・ベイカー)と、

少しずつ追いかけてきました。


そうして並べてみると、
ある共通点があるように感じています。

それは
「普通」や「女らしさ」という枠に、
うまく収まりきらない女性たちの物語が、
繰り返し選ばれてきたということです。



今日はその中でも、
わたしが特に心を掴まれた4作品

「アデル、ブルーは熱い色」
「TITANE/チタン」
「落下の解剖学」
「アノーラ」を中心に、お話しさせてください。



「アデル、ブルーは熱い色」の主人公アデルは、


恋に落ちる相手が
女性だったことに戸惑いながらも、
自分の感情に正直であろうとします。

周りの「普通」の基準に
合わせようとすればするほど、
自分の輪郭がぼやけていく。

そんな痛みを、
この作品はまっすぐに見せてくれました。



「TITANE/チタン」は、


もっと過激な形で
「型」を壊しにきます。

主人公アレクシアは、
女性らしさ、母性、人間らしさ、
そのすべての境界線を軽々と飛び越えていく。

グロテスクで奇妙で、
でもどこか神々しい。

「こんな生き方があってもいいんだ」と、
観ながら思わずつぶやいてしまいました。



「落下の解剖学」の主人公サンドラは、


夫を亡くした妻でありながら、
疑いの目を向けられる立場に置かれます。

悲しむべきなのに、
感情を見せすぎれば「怪しい」と言われ、
冷静でいれば「冷たい」と言われる。

女性が置かれる、
この理不尽な二重の視線を、

静かな法廷劇の中で突きつけてくる作品でした。



「アノーラ」は一見、


シンデレラストーリーのように始まりながら、
まったく違う方向へと転がっていきます。

主人公アニーは、
自分の仕事にも
人生にも誇りを持って生きているのに、

周りは彼女を
「かわいそうな女の子」の枠に押し込めようとする。

その温度差が、
観ていて胸に刺さりました。



ほかにも
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の、
盲目になっていく
母セルマが最後まで守り抜こうとした尊厳。


「万引き家族」の、
血のつながりがなくても
確かに存在した家族の形。


「パラサイト」の、
貧しさゆえに
透明人間のように扱われる家族の姿。


これらも、
社会が決めた「普通」から
はみ出してしまった人たちの物語として、
すごく心に残っています。



こうして並べてみると、
パルムドールという賞は、

綺麗にまとまった生き方よりも、
うまく型にはまれなかった人たちの生々しさを、
ずっと選び続けてきたのだと感じます。



わたしは普段、
電話やチャットで
色々な方のお話を聴く仕事をしています。

その中で本当によく耳にするのが、

「こんなこと思うわたし、おかしいですよね」
「普通はこう感じないと思うんですけど」

という言葉です。


でも、話を聴いていると思うんです。

「普通」なんて、
実はどこにも存在しないんじゃないかって。


アデルも、
アレクシアも、
サンドラも、
アニーも、

みんな自分なりのやり方で、
自分の人生を生きようとしていただけ。


それを
「普通じゃない」とジャッジしたのは、
いつも周りの目でした。




もし今、
自分の感情や選択を

「普通じゃないから」と責めている方がいたら、
伝えたいことがあります。


その
"はみ出し"こそが、
あなたがあなたである証なのかもしれません。


型にはまらない生き方は、
時に痛みを伴います。


それでも、

その痛みごと
抱きしめてくれる映画たちがあることを、
わたしは知っています。


そして、

その痛みを
そのまま聴かせてもらえる場所も、
きっとどこかにあるはずです。



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