「暗部」を暴く監督 ーデビッド・フィンチャーの作品たちが教えてくれること。

「暗部」を暴く監督 ーデビッド・フィンチャーの作品たちが教えてくれること。

記事
コラム
こんばんは、原田です。

気象病とPMS症状が酷くて
眠れないので

今日は、
私が大好きな監督のひとり、
デビッド・フィンチャーについて
書いてみたいと思います。


「セブン」
「ゲーム」
「ファイト・クラブ」
「ゴーン・ガール」
「ソーシャル・ネットワーク」
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
「ドラゴン・タトゥーの女」


…観るたびに
「うわあ……」
と唸らされる作品ばかりで、

フィンチャー作品は
私の中でずっと特別な位置にあります。


フィンチャー作品に共通しているのは、

人間の
「きれいな表側」ではなく、
その奥にある本音や暗部を、

容赦なく、
でも冷静に見つめる視線だと思うんです。


今日はそのことと、
私がチャットレディ・相談業を通して
感じていることを絡めて書いてみようと思います。



「正義」の裏側を暴いた「セブン」


「セブン」は、
七つの大罪をモチーフにした

猟奇殺人を追う刑事たちの物語ですが、
単なるサスペンスでは終わりません。


ラストで明かされる真実は、

「正義とは何か」
「怒りとは何か」を
観る側に突きつけてきます。


表向きは冷静な刑事たちも、
追い詰められれば
人間らしい弱さや怒りを剥き出しにする。

フィンチャーは、
そこから目を逸らさせてくれないんですよね。



「本当の自分」を問う「ファイト・クラブ」


「ファイト・クラブ」も、

まさに
人間の本音・本性を
テーマにした作品だと思います。


社会に適応するために
抑え込んできた衝動や苛立ちが、
極端な形で噴き出していく様子は、

観ていて怖いのに、

どこかで
「わかる」
と思ってしまう自分もいました。


誰しも、
社会的な「顔」の下に、
もうひとつの自分を隠しているのかもしれません。



「真実は一つじゃない」ことを見せつけた「ゴーン・ガール」と「ドラゴン・タトゥーの女」


「ゴーン・ガール」は、

夫婦という一番近い関係性の中にすら、
語られない本音と嘘が
渦巻いていることを見せつけてきます。


「ドラゴン・タトゥーの女」も、

表向きの家族や社会的な体面の裏に隠された
歪みを暴いていく物語で、


フィンチャー作品らしい
「誰も本当のことを言っていないかもしれない」
という緊張感がありました。



天才の孤独を描いた「ソーシャル・ネットワーク」、時間軸を逆転させた「ベンジャミン・バトン」


「ソーシャル・ネットワーク」は、

成功の裏にある孤独や
人間関係の歪みを、
淡々とした語り口で描いていて印象的でした。


「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は
他の作品と比べると少し毛色が違いますが、

老いていく世界の中で
逆行して生きる主人公の孤独や、

周囲との「ずれ」を通して、

やはり
人間の内面に触れてくる作品だったと感じています。



オープニングからすでに「フィンチャーの世界」


個人的に一番好きなのは

「セブン」と
「ドラゴン・タトゥーの女」なのですが、

この2作品、

実は本編が始まる前、
オープニングの時点でもう心を掴まれてしまうんです。


「セブン」のオープニングは、
殺人鬼の手記をイメージした、
ざらついた質感の映像。

文字が
スクラッチボードに刻まれていくような不穏さがあって、

まだ犯人の姿すら見せていないのに、
その狂気にもう触れてしまったような感覚になります。


実はこれ、
有名なタイトルデザイナー、
カイル・クーパーによる仕事で、

後の映画やドラマのタイトルデザインに
大きな影響を与えたと言われるほどの
伝説的なオープニングなんです。


「ドラゴン・タトゥーの女」の
オープニングも負けていません。

黒い液体が
うねりながら人や物を飲み込んでいくような、
グロテスクで美しい映像に、

レッド・ツェッペリンの
「移民の歌」を
トレント・レズナーと
カレン・Oがカバーした曲が重なって、

たった2分半なのに
完全に異世界へ連れていかれてしまいます。


本編が始まる前から、
もう「フィンチャーの世界」に引きずり込まれてしまう。


この2作品のオープニングは、

まさにフィンチャー監督の
「暗部を見つめる視線」を、

映像と音楽だけで
体感させてくれる名場面だと思います。



「暗部を見つめる」ことは、傾聴の仕事にも通じている


こうしてフィンチャー作品を並べてみると、

共通しているのは
「人間の表向きの顔だけでは終わらせない」姿勢
だと思います。


私はチャットレディとして、
そして今は電話相談サービスを通して、

たくさんの方の
本音に触れる機会をいただいています。


誰かに話す時、
人は最初、
きれいに整えた言葉を選びがちです。


でも話を重ねていくうちに、
ふと本音がこぼれ落ちる瞬間がある。

その瞬間こそ、
その人の
「本当の姿」なんじゃないかと感じています。


フィンチャー作品を観ていると、
「人はきれいごとだけでは生きていない」
という、

ある種厳しい現実を突きつけられます。


でも私はそれを、
悲観的なものというより、

「そここそが人間らしい」
と捉えたいんです。


暗部があるからこそ、
そこに寄り添う意味がある。


フィンチャー監督の映画を観るたびに、

私は
「話を聴く」という仕事の意味を、

また少し
違う角度から確認させてもらっている気がします。



もしまだ観たことのない作品があれば、

ぜひどれか一本、
手に取ってみてください。


きっと、
自分の中の
「見ないふりをしていた部分」に気づかされるはずです。



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