意味がわからないのに、魅入ってしまう。 ーレオン&コシーニャ監督という迷宮。

意味がわからないのに、魅入ってしまう。 ーレオン&コシーニャ監督という迷宮。

記事
コラム
あなたは、

「観てはいけないものを観てしまった」
ような感覚になったことはありますか?


意味がわかるようでわからない。
不気味なのに、なぜか魅入ってしまう。

そんな感覚を味わわせてくれるのが、

チリ出身の映像作家コンビ、
クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャの作品です。



長編デビュー作「オオカミの家」は、


実写、
ストップモーション、
絵画的なアニメーションが
渾然一体となった作品で、

ある宗教的なコミュニティから逃げ出した少女が、

森の奥の一軒家で二匹の豚と暮らし始める、
という物語です。


物語が進むにつれて、
家の壁や床、
家具までもがまるで生き物のように変形し、

少女の心の内側が
そのまま空間に染み出してくるような映像が続きます。


支配と服従、
罪と赦し、

そういった重いテーマが、
寓話めいた不気味な絵の中に溶け込んでいて、

観終わったあとも
簡単には言葉にできない余韻が残りました。



続く「ハイパーボリア人」は、


実写・影絵・人形・アニメーションを組み合わせた、
さらに実験的な作品です。


正直なところ、
ストーリーを筋道立てて理解しようとすると、
途中で迷子になってしまいます。


それでも
「わからないけど、なんだか面白い」
という感覚だけは、
しっかりと残る不思議な作品でした。


整理された物語を求めていくと
肩透かしを食らいますが、

意味不明さそのものを味わう心づもりで観ると、
逆に癖になる作品だと思います。


あの浮遊感のある不穏さは、

日本のバンド
「たま」の曲を聴いているときの感覚に、
どこか近いものがあるなと感じました。



こうした不穏で謎めいた作風の背景には、


チリという国が辿ってきた
歴史も少なからず関わっているように思います。


チリは1973年、
軍事クーデターによって社会主義政権が倒され、
その後長きにわたって軍事政権下に置かれました。

当時は政党活動や集会が厳しく制限され、
政治的な発言そのものが命がけの時代が続いていました。


そんな中で、
人々は詩や音楽、演劇、映像といった芸術表現の中に、

直接口にできない思いや抵抗の意思
静かに込めていったといわれています。


カトリック教会も、
弾圧された人々を支える役割を担い、

抵抗の芸術が
国外へと運び出される手助けをしたこともあったそうです。


宗教とアート、
そして政治が複雑に絡み合いながら、
チリ独自の表現文化が育まれてきたのだと知ると、

レオン&コシーニャ作品の

「言葉にならないものを、寓話やイメージに変えて語る」
という手法にも、

その土壌が静かに息づいているように感じられてきます。



短編「骨」も観てみたのですが、


14分という短さの中に、

あの独特な
不穏さがぎゅっと詰め込まれていて、

夢の中を彷徨っているような感覚を味わいました。


まだ観られていない
「名前のノート」という短編もあるそうなので、
こちらも近いうちに観てみようと思っています。



こうして作品に触れていると、

レオン&コシーニャ監督の映像は

「理解する」ためのものではなく、
「感じる」ためのものなのかもしれない、

と思うようになりました。


それは、
普段の相談の仕事で人の話を聴くときの感覚とも、
少し似ています。


相談の中で語られる言葉は、

必ずしも
筋道立てて説明できるものばかりではありません。

どこか散らかっていて、
矛盾していて、

それでも
確かにその人の中にある「本当のこと」。


無理に整理して理解しようとするより、
そのまま受け取ることの方が、
案外大切なのかもしれないと感じています。




意味がわからないのに、
なぜか目が離せない。


そんな感覚を、
あなたも味わったことはありますか?

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