渇望という名の愛  ―ルカ・グァダニーノ監督作品から見えるもの。

渇望という名の愛  ―ルカ・グァダニーノ監督作品から見えるもの。

記事
コラム
こんにちは、原田です(#^^#)

ここのところ、
薬の副作用が落ち着いたと思ったら
低気圧が迫ってくる…

という、
なかなかコンディションが整わない
いつもの体調不安定な感じなので

また
好きな映画について書いて
テンションを上げていこうと思います♪



映画には、
"満たされた愛"を描くものと、
"満たされない愛"を描くものがあるように思います。


ルカ・グァダニーノ監督は、
きっと後者の作家さんなのかな…って感じています。


彼の作品を観るたびに感じるのは、

登場人物たちが
「欲しいものに、なかなか手が届かない」
ということ。

そして、その渇望の描き方が、
作品ごとにまったく違う表情を見せてくれます。



「君の名前で僕を呼んで」では、
その渇望がいちばん瑞々しい形で描かれています。


夏の光、桃、湖畔の午後。

エリオがピアノを弾く指先、
オリヴァーの何気ない仕草を目で追ってしまう視線。

言葉にできない気持ちが、
会話よりも
沈黙の中に多く宿っているように感じました。


二人の恋はとても美しく描かれるのですが、

その美しさの奥には
「この時間はいつか終わってしまう」という予感が、
ずっと静かに流れています。


夏が終わり、
暖炉の前でエリオが涙を流すあの長いワンカットは、

満たされた記憶と満たされない現実が
同時に押し寄せてくるような時間でした。


満たされているように見える瞬間ほど、
実は一番渇いているのかもしれない。


そんな逆説が、
この映画の芯にあるように感じます。



「サスペリア」になると、
渇望はもっと生々しく、激しい形をとります。


ダンスカンパニーという
集団の中で渦巻く支配と服従、
そして母性への飢え。

スージーが踊るたびに
別の生徒の身体が壊れていくあの残酷な演出は、
観ていて何度も目を背けたくなりました。


それでも、
マダム・ブランと生徒たちの間にある奇妙な親密さや、
母を求める気持ちが同時に描かれていて、

優しさと恐怖が同じ画面の中に同居しているんですよね。


観ているこちらも感情の置き場に困ってしまいます。

それでも目が離せなかったのは、
その渇望があまりにも切実だったからだと思います。



「ボーンズ アンド オール」は、
渇望を文字通り
「食べる」
という行為に変えてしまった作品でした。


マレンとリーが車で見知らぬ土地を巡りながら、
少しずつ心を開いていく過程が
とても丁寧に描かれています。


人を愛することと、
人を求めてしまう衝動が、
ロードムービーという形式の中で
ゆっくりと絡み合っていきます。


愛したい、
でも…
自分のその欲望が相手を傷つけてしまうかもしれない。


そんな矛盾を抱えたまま生きていく姿に、
胸がぎゅっと締めつけられました。


ラストシーンでリーが選んだ結末は、
渇望と愛情が切り離せないものであることを、
これ以上ないほど静かに物語っていたように思います。



そして「クィア」

これは
渇望がいちばん剥き出しのまま描かれている作品だと感じます。

ウィリアムがユージーンに向ける眼差しは、
求めても求めても、

相手の内側までは
決して入っていけないもどかしさに満ちています。


触れているはずなのに、届かない。

密林の奥へと二人が向かう幻想的な場面では、
その渇望がほとんど身体感覚として
観客に伝わってくるような気がしました。


その孤独と、
それでも焦がれてしまう気持ちが同時に存在する感覚は、

観ていて苦しいのに、
どうしても目を逸らせませんでした。



四つの物語はまったく違うのに、

共通しているのは

「満たされないことこそが、
その人が確かに生きている証だった」

…ということなのかもしれません。


誰かを求める気持ちは、
いつも綺麗に報われるとは限らない。

それでも求め続けてしまうところに、
その人らしさが滲み出るのだと思います。



私は普段、
ココナラで電話相談やチャットレディのお仕事をしていて、

お話ししてくださる方の多くも、
実はどこかで
「渇望」を抱えていらっしゃるように感じます。


満たされない気持ちを、誰かに聞いてほしい。

分かってほしいけれど、
分かってもらえないかもしれないという不安もある。

それでも、話すことをやめない。



グァダニーノ作品の登場人物たちを見ていると、

そういう
「満たされないまま生きていく強さ」
のようなものを感じます。


渇望は苦しいものですが、
それは同時に、
まだ何かを求め続けているという、
生きている証でもあるのだと思います。


エリオの涙も、
スージーの踊りも、
マレンとリーの選択も、
ウィリアムの眼差しも、

全部
「まだ諦めていない」
…という気持ちの表れなのかもしれません。



もし今、
満たされない気持ちを抱えていらっしゃるなら、
それを無理に消そうとしなくても大丈夫です。


ただ、
その気持ちをひとりで抱え込まずに、
誰かにそっと話してみることはできます。



私はその「渇望」を、
否定せずにそのまま、
寄り添うように聴きたいと思っています(^^)



グァダニーノ作品は、
まだまだ未観賞のものが多いので
タイミングを見計らって
観ることができたら良いなあ…と思っています(^^♪

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