ポップの奥にある孤独 〜石井克人監督作品と、話を聴くということ。〜

ポップの奥にある孤独 〜石井克人監督作品と、話を聴くということ。〜

記事
コラム
こんにちは、原田です(*^^*)

昨日は大雨で避難勧告が出ていましたが
熟睡していたので、全く気付きませんでした…。

でも
なんとか生きています(^▽^)



今日は、
私が個人的にすごく好きな監督のひとり、
石井克人監督についてお話ししたいと思います。


鮫肌男と桃尻女
茶の味
ナイスの森
スマグラー


観るたびに
「この人、なんでこんな発想ができるんだろう」
と唸ってしまう作品ばかりです。



ポップでスタイリッシュ、でもどこか乾いている


石井監督の作品って、
パッと見の印象がとにかくカッコいいんですよね。


原色が効いた色使い、
テンポの良いカット割り、
コミックのようなユーモア。


「鮫肌男と桃尻女」も「スマグラー」も、
裏社会の話なのにどこか軽やかで、

観ていて
「うわ、センスいいな」と思わせてくれます。


でも、
観終わったあとにふと残るのは、
派手さとは真逆の感情だったりします。

それは孤独だったり、
不器用さだったり、
うまく言葉にできない寂しさだったり。


派手な画面の奥に、
ちゃんと人間の弱さが隠れているんです。

この「ポップさ」と
乾いた寂しさ」が
同じ画面の中に同居しているところが、

私が
石井監督の作品にずっと惹かれ続けている理由だと思います。



「茶の味」「ナイスの森」に流れる、変な間


一方で
「茶の味」や
「ナイスの森」は、
また少し毛色が違います。


日常の中にふと非日常が紛れ込んでくる、
あのシュールな空気感。

家族の会話は噛み合っているようで、
微妙にズレている。

誰かが唐突に変なことを言い出しても、
周りはそれを普通に受け止めている。


不思議なんですが、

あの
「噛み合わなさ」の中にこそ、

その人らしい本音が
ぽろっと出てくる瞬間があるんですよね。


まっすぐな会話よりも、
脱線した会話や間の抜けたやり取りの方が、
実は素の部分に近かったりする。


これって、
私が普段お話を聴くお仕事をしている中でも、
すごく実感することなんです。



明るく話す人ほど、奥に何かを抱えていたりする


電話やチャットでお話を聴いていると、

最初はすごく明るく、
テンポよく話される方に出会うことがあります。

冗談を交えながら、
笑いながら。


でも話を重ねていくうちに、
その明るさの奥に、
実はずっと抱えてきた孤独や寂しさがあったんだ、
と気づく瞬間があります。


逆に、
重たい話を淡々と話される方の中に、
ふとユーモアや軽やかさが顔を出すこともあります。


人って、
そんなに単純に
「明るい/暗い」で分けられるものじゃないんだな、
といつも思わされます。


石井監督の作品も、
まさにそうだなと感じます。


表面の印象だけで判断してしまうと、
その奥にあるものを見逃してしまう。

ポップでコミカルな画面の奥に孤独があり、
シュールで変な会話の奥に本音がある。


だからこそ、
何度観ても飽きないし、
観るたびに違う部分に気づかされるのかもしれません。



見た目や話し方だけで判断しない、ということ


お話を聴くお仕事をしていて
一番大切にしていることのひとつが、

その人の話し方や第一印象だけで、
その人の中身を決めつけない
ということです。


明るい人が明るい話しかしないわけじゃないし、
静かな人が何も抱えていないわけでもない。


石井克人監督の作品を観るたびに、

私はそのことを
改めて思い出させてもらっている気がします。

派手な画面の奥にある静かな孤独。
シュールな会話の奥にある不器用な本音。


そういう
「奥にあるもの」に目を向ける姿勢を、
これからも大切にしていきたいなと思います。



石井監督作品、
まだ観たことがない方はぜひ。


きっと一度観たら、
あの独特の空気感に引き込まれるはずです(*^^*)


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