白石和彌監督の作品が、
10年くらい前からずっと好きです。
「凶悪」
「日本で一番悪い奴ら」
「孤狼の血」
「彼女がその名を知らない鳥たち」
「死刑にいたる病」
「凪待ち」
「ひとよ」 などなど…
…観るたびに、
綺麗に片付けられない何かが、ずっと胸に残ります。
今日は
その「片付けられなさ」について、
私の仕事とも絡めながら書いてみたいと思います。
「凶悪」で味わった、最初の震え
私が一番最初に観た白石作品は「凶悪」でした。
リリー・フランキーさん演じる、
飄々としているのにどこまでも底知れない不気味さ。
ピエール瀧さん演じる、
笑いながら人を追い詰めていくあの狂気。
二人の怪演を観終わったあと、
しばらく震えが止まらなかったのを覚えています。
怖い、というだけじゃなくて…。
人間って、ここまで踏み外せるんだ、という驚きでした。
そしてその踏み外し方が、
どこか「他人事」に思えないリアリティを持っていたことが、
余計に怖かったのかもしれません。
正義の側にいる人間もまた、歪んでいる
「日本で一番悪い奴ら」
「孤狼の血」
「彼女がその名を知らない鳥たち」
「死刑にいたる病」
これらの作品に共通しているのは、
正義や権力の側にいるはずの人間もまた、
決して真っ直ぐではないという眼差しだと思います。
警察官が裏社会と繋がり、法の名のもとに罪を重ねていく。
加害者を裁く側の人間が、自身の弱さや欲望から逃れられない。
白石監督の作品には
「善悪」がはっきり線引きされる場所がほとんどありません。
正しさの側に立っているつもりの人ほど、
実は一番危うい場所に立っている…。
そんな居心地の悪さを、いつも突きつけられます。
「凪待ち」の、変われなさ
「凪待ち」は、白石作品の中でも特に好きな作品です。
香取慎吾さん演じる主人公は、
ギャンブルから抜け出せず、
やる気もなくて、正直かっこよくはありません。
むしろかなり、雰囲気が怖いです。
でも
白石監督は、それを断罪しないんです。
変わりたくても変われない、
そのどうしようもなさごと、人間として描いています。
「更生した」「立ち直った」という綺麗な物語には、絶対にならない。
でも…。
だからこそ、リアルなんだと感じます。
「ひとよ」の、誰にも裁けない選択
「ひとよ」も、忘れられない作品のひとつです。
田中裕子さん演じる母は、
子どもたちを守るために夫を手にかけました。
その選択を、誰が正しいと言い切れるでしょうか。
残された三兄妹も、それぞれ傷を抱えたまま、
大丈夫なふりをして生きています。
家族の物語なのに、
誰も完全に救われたとは言い切れません。
それでもそこに、
紛れもない愛があったことだけは、確かに伝わってきます。
傾聴の仕事で出会う、正解のない話
電話相談で日々いろんな話を聴いていると、
白石作品の登場人物たちと同じような感覚を抱くことがあります。
「これが正解です」なんて言えない事情ばかりです。
誰かを責めたい気持ちも、
責められない自分への苛立ちも、
変わりたいのに変われない自分への嫌気も、
全部本音で、全部その人の一部なんだと思います。
だから私は、それをジャッジしません。
「こうすべき」と正しさを押し付けたりもできない。
ただ、
その生々しいままの言葉を、
そのまま受け止めたいと思っています。
白石監督の映画が、
綺麗事に逃げずに、『人間』をそのまま見せてくれるように。
おわりに
正しさに収まらない生々しさこそ、
『人間らしさ』なのかもしれません。
もしあなたが、
誰にも言えない、
綺麗にまとめられない話を抱えているのなら…。
ジャッジせずに
そのまま聴きたいと思っている人間が、ここに一人います(^^)