「発達障害はギフテッド」って言われたけど、そうとは限らないと思う。

「発達障害はギフテッド」って言われたけど、そうとは限らないと思う。

記事
コラム
看護師をしている知人と話していたときのことです。

発達障害の話題になったとき、
彼女がふとこう言いました。

「発達障害ってさ、ギフテッドみたいなものだから。」


悪気は全くなかったと思います。

でも、私はその瞬間、
ちょっとモヤっとしてしまいました。


「ギフテッド」という言葉の心地よさ


SNSやテレビを観ないから、
情報的に、
どういうふうに発信してる方々がいるのか
あまり分からないんですけど…

「発達障害=特別な才能」
「凸凹があるからこそ天才性がある」

といった文脈で語られることもあるのかな…。


たしかに、
突出した集中力や、独自の発想力を持っている人はいます。
それ自体は事実だと思います。

でも、
その言葉だけが一人歩きしてしまうと、
大事な部分がすっぽり抜け落ちてしまう気がするんです。


誰と比べて、何が「変わってる」のか


これは発達障害の話とは少し別の角度なんですが、
私、昔からよく出会うんです。

「私、変わり者だからー」とか
「俺、変わってるからなー」って
自分から言ってくる人に。

(私の旦那さんは、人から全くそういうことを言われないタイプです。
不思議(笑))


正直に言うと、
こういう発言を聞くたびに、
地味にイライラしてしまいます。
(地雷って、人によってどこにあるか分からないですよね…。)

だって、
誰と比べて、
何が変わっているのか、全然分からないから。


たぶん、
その人にとって「変わってる」は、
ちょっと面白いキャラ付けというか、
自分を彩るための言葉なんだと思います。
悪気はないんでしょう。


でも、
実際に「標準」からはみ出してしまって、
日々しんどい思いをしている人からしたら、
その言葉の軽さって、
ちょっと残酷だったりするんじゃないかと思うんです。


擬態していつもヘトヘトな人たちがいる


30年前とかと比較してみると
発達障害やHSPという言葉は、
現在かなり浸透してると思います。


とは言っても社会は、
基本的に「定型発達」を前提に作られています。

学校のシステムも、
職場のルールも、
コミュニケーションの暗黙の了解も、
多くは「多数派」に合わせて設計されている。


そうなると、発達障害の当事者は、
その枠組みに自分を合わせるために、
常に"擬態"をすることになります。


相手の表情を必死に読み取ったり、
暗黙のルールを後から学習して当てはめたり、
感覚の過敏さを抑え込んだり。


それって、
外から見たら気づかれないぶん、
ものすごくエネルギーを使うことなんですよね。

一日の終わりには、ヘトヘトになっている。

「ギフテッド」なんて言葉からは、
まったく想像できないような疲労感です。


定型発達の人が楽、というわけでもない


誤解のないように言っておきたいのですが、
私は「定型発達の人は楽をしている」
と言いたいわけではありません。

定型発達の人にも、
それぞれの大変さがあるのは理解できます。


ただ、
少なくとも
「多数派に合わせて生きること自体がしんどい」
という経験は、
定型発達の人にはあまりないんじゃないかと思うんです。

そこにある温度差は、確かに存在していると思います。


「特別」という言葉の裏側にあるもの


「ギフテッド」という言葉は、
聞こえがいいぶん、
実態から目をそらしてしまう危険もはらんでいると思います。


本当に必要なのは、
キラキラした特別扱いじゃなくて、
扱いづらいからと言って敬遠されるでもなくて、

擬態しなくても生きていける環境や、
しんどさをなんとなくでも
受け止めてもらえる場所なんじゃないかな、
…と個人的には思っています。


もし今回の話を読んで、
思い当たることがあったり、
誰かに話を聞いてほしい…と感じたことがあれば、
私でよければ、お声がけください。


あなたの
そのままの気持ちを聴かせていただきます(#^^#)
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