不気味さの中にある、美しさについて。

不気味さの中にある、美しさについて。

記事
コラム
ルシール・アザリロヴィック監督の
「エコール」
「エボリューション」を初めて観たとき、
うまく言葉にできない感覚に包まれました。

怖いというのとも、気味悪いというのとも少し違う。
ただ、目が離せない。


デヴィッド・クローネンバーグ監督の
「イグジステンズ」
「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」も、


息子であるブランドン・クローネンバーグ監督の
「ポゼッサー」
「インフィニティプール」も、同じ感覚を呼び起こします。


身体や意識の境界が溶けていくような、
生理的などこか気持ち悪さを伴う映像なのに、
なぜかその奥に、独特の美しさが確かにあるんです。


これらの作品に共通しているのは、
「気味悪さ」と「美しさ」を、
切り離さずに提示してくることだと思います。


不気味なものは不気味なまま、
美しいものは美しいまま、
きれいに分けて描かれることが多い作品のほうが
分かりやすくて観心地も良いと思います。


でも
アザリロヴィック監督も、クローネンバーグ親子も、
その境界線をあえて曖昧にしてくる。

だからこそ観ているあいだ、
「これは受け入れていいものなのか、拒絶すべきものなのか」
という判断が宙ぶらりんのまま、
ずっと画面に引き込まれてしまうんだと思います。



同じデヴィッド・クローネンバーグ監督でも、
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や
「イースタン・プロミス」は、少し毛色が違います。

身体が変容するような不気味さは前面に出てきません。
その代わりにあるのは、
暴力を一切格好良く演出しない生々しさです。

一瞬で終わる暴力描写に、
目を背けたくなるほどの痛みがそのまま宿っている。

優雅さを排除した取っ組み合いのシーンも、
ただただ痛そうに撮られています。


つまり
「不気味さと美しさ」も「暴力の生々しさ」も、
根っこにあるのは同じものだと思うんです。

見たくないものから、目を逸らさせてくれない誠実さ。
私はこの誠実さに、強く惹かれています。


人の感情も、本来はこれと似ているんじゃないかと思うんです。


私はチャットレディとして、たくさんの方のお話を聴いています。

「嬉しいはずなのに、なぜか虚しい」
「大切な人のはずなのに、時々憎らしくなる」

そうした、
一見矛盾した感情、
綺麗な言葉にまとめきれない違和感を抱えている方は、
実はとても多いと感じています。


そういう気持ちを、
「それってつまり〇〇な感情ですよね」と、
わかりやすいラベルに落とし込んでしまうのは簡単です。

でも、それは本当のところ、
その方の気持ちを削ぎ落としてしまうことでもあります。


今日挙げた作品たちが、
気味悪さや痛みから目を逸らさせずに提示してくるように、

私も、矛盾や違和感をそのまま、
「そういうものとして」受け止めたいと思っています。


整った感情だけでなく、
形にならない違和感や、
名前のつかない気持ちごと、そのまま聴かせていただきたいんです。


判断を急がず、
宙ぶらりんのままの状態を、一緒に見つめさせてください。



もし今、
うまく言葉にできない、
矛盾した気持ちを抱えていることがあったなら
それを綺麗に整理する必要はありません。

そのままの複雑さを、少しだけ聴かせてください(^^)



答えが出なくても、
名前がつかなくても構いません。

その時間が、
少しでもあなたの心の支えになれたら嬉しいのです。




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