クリント・イーストウッド監督の作品を、
むかしから、気づけばたくさん観てきました。
「パーフェクトワールド」
「グラン・トリノ」
「アメリカン・スナイパー」
「ミリオンダラーベイビー」
「運び屋」
「ハドソン川の奇跡」
「15時17分、パリ行き」
「J・エドガー」
「チェンジリング」
「硫黄島からの手紙」
「ミスティック・リバー」
時代も題材も、驚くほどバラバラです。
老いた男、兵士、犯罪者、実在の英雄、権力者、母親、少年たち。
それでも私は、
この監督の作品にずっと惹きつけられています。
理由を考えていて気づいたのは、
題材がどれだけ違っても、
イーストウッドの視線は一貫している、ということでした。
彼は、
観客が求めがちな感傷を、決して煽ってきません。
「グラン・トリノ」も「ミリオンダラーベイビー」も、
積み重ねてきた人生の果てに、驚くほどあっけない結末が訪れます。
「彼(彼女)の人生は、結局何だったんだろう」という問いに、
映画は丁寧な答えを差し出してくれません。
悲劇として大げさに演出するでもなく、
ただ「そういうものだ」と静かに突き放してくる。
「チェンジリング」や「ミスティック・リバー」のような、
実際に起きた、あるいは起きてもおかしくない
痛ましい出来事を扱う作品でも、この姿勢は変わりません。
理不尽さをドラマチックに仕立てて感動に落とし込むのではなく、
ただその理不尽さがそこにあった、
…という事実だけを、静かに置いていく。
「硫黄島からの手紙」も、
戦争を英雄譚として描くのではなく、
名もなき兵士一人ひとりの、
答えの出ない恐怖と葛藤を丁寧にすくい取っていました。
イーストウッドは、感傷に逃げないんです。
私はこの姿勢に、誠実さを感じています。
人生や出来事を、
わかりやすい教訓や感動的な締めくくりに落とし込んでしまうことは、
ある種の"嘘"を含んでしまう。
イーストウッドはその嘘をつきません。
だからこそ観たあとに、
「これは一体何だったんだろう」と、
ずっと考え続けることになるんだと思います。
正直に言うと、
チャットレディとしての仕事を続けていて、
ふと
「結局、私がやっていることって何なんだろう」
…と立ち止まる瞬間があります。
誰かの話を聴いて、
その場では「話せてよかった」と言ってもらえても、
それが本当にその方の力になっているのか、
確かな手応えが見えないまま終わることも多いからです。
でも、
イーストウッドの映画を思い出すと、
少し違う見方ができる気がしてきます。
彼の映画は、
登場人物たちの行動が「意味があったのかどうか」を、
はっきり証明してはくれません。
それでも、
その人が確かにそこで生きて、選んで、
誰かと関わったという事実だけは、静かに画面に残り続けます。
私がやっていることも、もしかしたら同じなのかもしれません。
目に見える成果や、
はっきりした答えがなくても、
誰かがその時間、少しだけ心を軽くできたなら…。
それだけで十分なのかもしれない、と思うようにしています。
これは、
私が普段お客様のお話を伺うときにも、
ずっと大切にしたいと思っていることと重なります。
仕事の悩み、人間関係の葛藤、誰にも言えない胸の内…。
そうした気持ちの多くは、
実はそんなにきれいに整理できるものではありません。
「これは〇〇が原因ですよね」
「じゃあこうすればいいですよ」と、
わかりやすい落としどころに導いてあげることは、
簡単なようでいて、
実はその方の気持ちを丸めてしまうことでもあります。
イーストウッドが、人生に安易な意味づけをしないように。
私も、
お客様の気持ちに、急いで答えを出そうとはしません。
ただ、
そのままの複雑さを、
そのままの言葉で、
一緒に眺めさせていただきたいと思っています。
もし今、
うまく言葉にできない気持ちを抱えているのであるのなら…。
整理してもらうためじゃなく、
ただ「聴いてもらう」ために、少し話してみませんか?
答えが出なくても、それでいいんです。
話し終えた後、少しだけ心が軽くなっている——
そんな時間を、一緒に作れたらうれしいです(#^^#)