きれいごとじゃない場所にこそ、人はいる。 —片山慎三監督の映画。

きれいごとじゃない場所にこそ、人はいる。 —片山慎三監督の映画。

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コラム
こんにちは、原田です♪

映画監督についての記事、
これまでランティモス、イニャリトゥ、ドランと
海外の監督が続いたので、
今日は日本の映画監督、片山慎三監督の作品ついて書きます。


正直、
これまでの3人とは全然テイストが違うので、
ちょっと文体も変えてみようと思います。


『岬の兄妹』
『そこにいた男』
『さがす』

最近はドラマの『ガンニバル』『ガス人間』などの
ドラマ撮影の監督もしているようです。
(両方まだ観れてないので観たいです…)


片山監督の映画は、
はっきり言って「観るのがしんどい」です。

貧困、障害、孤独、犯罪すれすれの生活——

きれいに整えられた画面もBGMも、
感動的な音楽も、そこにはありません。

ただただ、
生活に押しつぶされそうになりながら生きている人たちが映っています。


「かわいそう」で終わらせない描き方


普通、こういう題材って、
社会派ドラマとして
「かわいそうな人たちを、優しい目線で描く」パターンになりがちです。
でも片山監督はそれをしません。


『岬の兄妹』では、
障害を持つ兄が生活のために妹に体を売らせるという、
かなりエグめな状況が描かれます。

観ていて何度も目を背けたくなります。
でも同時に、笑ってしまう場面もあるんです。

悲惨さとブラックユーモアが同居していて、
簡単に「感動」や「同情」で片付けさせてくれない。


これ、
実際に人の話を聴く仕事をしていると、すごく分かる感覚なんです。

現実の悩みや苦しみって、ドラマみたいに綺麗な形をしていません。

深刻な話をしていたと思ったら、急に本人が笑い出したり、
逆に何でもない話の途中で急に涙ぐんだり。

人の感情って、そんなに整理されていないし、
分かりやすい「かわいそうな人」という型にもハマらない。

片山監督の映画は、
その生々しさを一切ごまかさずに映している気がします。


誰にも見つけてもらえない人たち


『さがす』
というタイトルがそのまま表しているように、
片山監督の作品には
「誰かを探す」「誰にも見つけられない」というモチーフがよく出てきます。

社会からこぼれ落ちた人、
存在に気づかれない人、
助けを求める声すら上げられない人。


正直、お話を聴く仕事をしていると、
こういう「誰にも見つけてもらえていない人」に、たびたび出会います。

家族にも友人にも本当のことを話せず、
誰にも相談できないまま何年も一人で抱え込んでいた、
という方は決して珍しくありません。

片山監督の映画に出てくる人たちほど極端な状況ではないとしても、
「自分はここにいるのに、誰にも気づかれていない」という感覚は、
思っているよりずっと身近なものだと感じています。


救いがないわけじゃない、ただ簡単じゃないだけ


片山監督の映画は、決して後味のいいものばかりではありません。

すっきりしたハッピーエンドもほとんどありません。
でも、絶望だけを描いているわけでもないんです。

どん底の状況の中でも、人と人がふとした瞬間に繋がったり、
小さな選択で状況が変わったりする瞬間が、ちゃんと描かれています。

ただ、それは劇的な救いではなく、
地味で、ささやかなものです。

私がお話を聴く仕事の中で目指しているのも、たぶんこれに近いです。


劇的に人生を変えることはできません。

でも、
「誰にも言えなかったことを、初めて言葉にできた」
というささやかな瞬間には、確かに何かがあると思っています。

片山監督の映画は、
そういう
「地味だけど確かにある救い」の描き方を、教えてくれる気がします。


おわりに


華やかさもカタルシスもない、正直しんどい作品がほとんどです。

それでも私が片山監督の作品を観続けているのは、

そこに
「きれいごとで済まされない現実」がちゃんと映っているからだと思います。

そしてその現実の中にこそ、人が生きている。


片山監督の作品を観たことがある方、ぜひ感想を聞かせてください。


そして、
誰にも見つけてもらえていないと感じている方がいたら、
私はここにいます(^^)


最後まで読んでいただき、ありがとうございました*

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