映画が好きで、
いろんな監督の作品を観てきましたが、
その中でもとりわけ振れ幅が大きいと感じるのが、大森立嗣監督の作品です。
同じ人が撮ったとは思えないほど、
軽やかな作品もあれば、
観終わったあとしばらく動けなくなるような重い作品もある。
今日はそんな大森監督の作品を通して、
私が普段の「傾聴」の仕事の中で感じていることを、
少しお話ししてみたいと思います。
ふっと力の抜ける「ほっこり」な作品たち
「まほろ駅前多田便利軒」や「セトウツミ」は、
大森監督の作品の中でも、かなりライトな部類だと思います。
派手な事件が起きるわけでも、
劇的な救いが用意されているわけでもない。
でも、
そこにいる人たちが
「今を生きている」感じがすごくリアルで、
観ているとふっと肩の力が抜けるんですよね。
何気ない会話や、どうしようもない日常の中に、ちゃんと体温がある。
「日日是好日」も、こちらの部類に近い作品で、
静かな時間の流れの中に、
じんわりとした豊かさを感じさせてくれます。
観終わったあと、しばらく「ずーん」となる作品たち
一方で、
「ゲルマニウムの夜」や「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」は、
正直かなり衝撃を受けました。
暴力性や生々しさが容赦なく描かれていて、
綺麗事なんて一切ない。
観ている間、
目を逸らしたくなる瞬間もあるのに、なぜか目を離せない。
「光」「さよなら渓谷」「ぼっちゃん」「MOTHER」「タロウのバカ」
も同じように、
観終わったあと、胸のあたりに重いものがずっと残るような作品でした。
登場人物たちは
決して「わかりやすい善人」でも「わかりやすい悪人」でもなくて、
どうしようもなさを抱えたまま生きている。
その姿があまりにリアルで、
簡単に「かわいそう」とか「ひどい」
なんて言葉で片付けられない気持ちになるんです。
振れ幅の大きさこそが、大森監督らしさ
こうして並べてみると、
大森監督の作品は本当に振れ幅が大きい。
でも、
その両極端に共通しているものがあると思っています。
それは「生きてる質感」を、
決して誤魔化さずにそのまま見せてくれるということ。
軽い話も、重い話も、
どちらも
「今ここに、確かにこの人は生きている」という手触りがある。
その質感の描き方が、
明るい方向にも、重い方向にも、
振り切れているだけなんだと思うんです。
傾聴の仕事で感じる、同じ手触り
実は、
チャットレディとしてお話を聴くお仕事をしている中でも、
これとまったく同じ感覚を覚えることがあります。
軽い雑談のような相談でも、
誰にも言えないような重たい打ち明け話でも、
その人が
「今、確かにここで生きている」
という質感は変わらないんですよね。
むしろ、
話の重さや軽さに関係なく、その質感そのものを感じ取れることが、
私はすごく好きなんだと思います。
答えのない気持ちを、そのまま聴く。
ふっと軽くなれる話も、
ずっしり重い話も、
同じように大切に受け止める。
大森監督の作品を観るたびに、
私はその感覚を思い出させてもらっている気がします。
もし
「ほっこりしたいけど、ちゃんと生きてる感じも味わいたい」
という日は
「まほろ駅前多田便利軒」や「セトウツミ」等を、
「今日は少し重いものと向き合いたい」
という日は
「ゲルマニウムの夜」や「さよなら渓谷」等を、
ぜひ手に取ってみてください。
そしてもし、
誰かに話を聴いてほしい気分になったときは
軽い話でも、重い話でも、どちらもそのまま大切にお聴きします(#^^#)