「元教員なのに、親になったら分からなかった」シリーズ第2弾
不登校の子を何人も見てきた私が、自分の娘の不登校を受け入れるまでに、思っていたよりずっと長い時間がかかりました。
教員なら分かるはずのことが、自分の子にはできなかった。
■ 「不登校を受け入れる」ってどういうこと?
教員として不登校の子どもに関わるとき、私はよく「受け入れることが大切」と親に伝えていました。
が、実際に自分の娘が不登校になったとき、「受け入れる」とは何をすればいいのか、全く分からなくなりました。
「学校に行かなくていいよ」と言えない。「これでよかった」と思えない。でも、殺気模様に学校に追い返すのも違う気がする。
自分の始まりは、そんなところからでした。
■ 教員経験が肣足を引っ張った
不登校の実態を知っているからこそ、「このままじゃいけない」という気持ちが強くなりました。
「長期化する前に手を打たないと」「行ける条件を整えるべき」「かってこういうケースはシンドかった」
専門知識が、親の心配を膊通りにしていました。
そしてなにより、娘を「親の目」でなく「支援者の目」で見てしまっている自分に、ある日気づきました。
■ 受け入れられた瑜間
少しずつ変わったのは、娘のことを「実況を覚える存在」としてではなく、「今ここにいる女の子」として見始めたときでした。
学校に行けるかどうかではなく、娘が今どんな顔をしているか。
それだけを見るようになってから、少しずつ軽くなりました。
■ 受け入れられなくても、大丈夫
「受け入れる」とは、完全に納得することではないと今は思います。
「まだ受け入れられないけど、どうにかしたい」「このままでいいのか不安だ」——その気持ちを持ちながらも子どもの隣にいることが、すでに十分なんです。
元教員の私でも、受け入れるまでに時間がかかりました。
自分を责めなくていいです。どうにも整理できないときは、えんがわ相談室に話しかけてみてください。