「YouTubeで収益化を目指す!」
そう言い出したのは、自分で作成したシフトが、残り14日になった時。
「辞めます。」
と急に辞職を申し出て、法律ギリギリで“店長”という職責を放った時だった。
業務上、あまりにも理不尽が重なり、一周回ってヤケクソだった。
会社や組織、真面目に働く事にも嫌気がさして、当時トレンドだったからこそ『YouTuberにでもなろう!』と気がふれていたのだ。
更に当時、入信していた新興宗教にも嫌気がさし、面白いぐらい滅入っていた。
私は小学生の頃から母の2世で、仏教系新興宗教信者だった。
おかげで昔から、“目に見えない存在”を最優先すべきは、日常において当たり前の事になっていた。
但しコロナ禍で、それは急変した。32歳の時だった。
教義に基づき、宗教活動に日々励んでいた中。その行事が『密です』に該当する為、軒並み中止・禁止になった。
それをきっかけに、宗教行事に充てていた時間を、興味のあった心理学を齧る時間にしていると、あろうごとか…新興宗教の信者を依存させる“トリック”がわかってしまったのだ。
「ふざけんなよ!!!!」
泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。踏んだり蹴ったり。傷口に塩。
思い出すとおかしくて、笑ってしまう。けれども当時は本当に献身的に頑張って励んでいたが故に、20年程手口に引っかかっていた事実がショック過ぎた。
『自分は一体何が出来るのか…』を完全に見失った状態。
いきなりYouTuberになろうだなんて言いつつ、なんのチャンネルを作ろうか…と悩む。
そんな時にいきなり、YouTubeのトップに“タロット”の動画が表示された。
最初は、疑心暗鬼な興味本位で再生した。
しかし当時の笑える程滅入っていた私にとって、それが後に“バーナム効果”だと分かっても、
「当たってる!!そんなことあった!…じゃあ、来週いい事あるかも。」
なんて、希望や救いになったのは確かだ。
とにかく夢中になって再生し、見入って見入って…
「これ、自分で出来るんじゃね?カード引いて、解説書読み上げるだけだろ?」
と、1ヶ月もせぬまま、自分でカードデッキを買った。
カードというものは面白い。
「解説書とか要らないぐらい、フレキシブルに色々読める!読めるぞ!!」
ムスカ大佐もびっくりな興奮で、その魅力にどハマりしてしまった。
更に、やればやるほど、既存の人達より上手(※手前味噌)に読める。
そりゃゴリゴリ仏教の教義が、既にインプットされた脳ミソだ。馬鹿みたいに簡単に“方便”も見抜いて次々真理を求められる。
「これだ!!」
できることと、やりたいことと、“YouTuber”が噛み合った。
カードを触ってまだ2ヶ月程だというのに、さっさとチャンネル開設を済ませ、iPhoneで撮影に励んだ。
当時はまだ、タロット・オラクル・ルノルマンの違いすらわかっていなかった。
そんなチャンネルは1年ほど頑張って、やっとのことで、登録者数を650人程にした。
新興宗教への絶望の手前、宗教と同じことをしないように…と、神仏がどうにかしてくれるだなんて方便に逃さず、バーナム効果に頼らず。自分なりに現実的に、論理的にカードを解釈し、言うことは言うスタイルをとっていた。
そんな苦言を辞さない姿勢の裏で、綺語や迎合を連ねて、さっさと“収益化”を達成するチャンネルを傍目に…
『自分も…』
と、数字欲しさに視聴者の顔色を窺いながらの活動は、正直ストレスになっていた。
正論を言えば、コメント欄でキレられる。数字欲しさにバーナム効果や綺語・擁護を入れれば、自分が口内炎や下痢に苦しむ。
仏教の教義を語れば、トンチキウンチクを語りたい、語尾が南無阿弥陀仏や合掌の、粘着質な厄介ヲタクが絡んでくる。
だからと言って、他のチャンネルみたいにコメント欄を閉鎖するのは、フィードバックが完全に得られなくなる為、嫌だった。
そうして頭を抱えているところで、知ってしまった…。
10万円程の端金があれば、収益化“育成済”のアカウントが買えること。再生数やチャンネル登録者数を、消費税程度の金額で買えることを。
挙句、それを買ったであろうチャンネルが乱立したこともあり、本当に正攻法だった自分が馬鹿馬鹿しくなった。
「金さえあれば、こんな努力いらないじゃん!!」
悔し過ぎて、収益化をすっかり諦め、チャンネルを削除した。
しかし、これをきっかけに“心が間違っていた”と気付いて、反省した。
“やること”に対価を必要とする、“商売”としてのあり方だった。その為、あれだけ嫌っていた新興宗教と同じように、焦れば焦るほど…依存と癒着を煽る、マーケティングテクニックを使っていたと気付いた。
当時の自分は、『1円も貰えなくてもやりたい?』という自問自答に、“YES”とは答えられなかった。
これが“真心ではなかった・正しい行いではなかった”という証拠だ。
とにかく、やっている事に価値が欲しくて、お金が欲しかった。それは承認欲求や自己顕示欲の“数値化”という、本当にしょうもないものだ。
だから数字に拘り、数字に悩んで、数字に泣いたのだと、本当に反省した。
また、時代も変わった。
コロナ禍の不安と恐怖から、占い・スピリチュアル界隈は急激に大発展し、バブル時代が来たかのように賑わった。
先行きが不安しかない中。藁にもすがる勢いで神仏に頼ろうと大衆が界隈に流入し、人口は一気に増え、並行してたくさんのチャンネルが乱立した。
但し、いつまでも人々は先行きが不安だとか、神仏に縋ってばかりではない。
あの反省から年月が経過してくると、界隈の雲行きがおかしくなった。
ただ縋っていた人達が、占い・スピリチュアル界隈からどんどん抜けて、現実に戻っていく。
まともな人達は、理不尽な現実に折り合いをつけて顔を上げ、自分なりにどうにか生きていこうと前に進んでいるのだ。いつまでも現実逃避していては、何も変わらないと悟って。
逆に、未だ神仏に依存したり責任転嫁したままの、占い・スピリチュアル界隈のチャンネル達は、登録者数や再生数が減る一方になっていた。
そんな中、おかしな動画ばかり上がるようになった。
『奇跡が起きる人だけに表示されています』
『特別な人だけ再生できる動画です』
『これが表示されたらすぐに再生しないと運気が逃げます!』
など。商業で言うところの、“クーポン乱発”だ。
即効性が高い反面、弊害で信用・信頼は失墜の一方だ。まともな視聴者は、どんどん逃げていく。
みるみるうちに、界隈の動画は、ドンキのワゴンセールの叩き売り状態になっていった。
そこに群がるのは、手軽に気分をよくしてもらいたい、現実逃避のモルヒネを求める依存者。そこに深い中身は要らない。ただ、現実逃避できればいいのだから…。
こうなると、動画の中身はどんどんスカスカになり、界隈の胡散臭さが増し、益々人口が減る一方だ。
「わぁ…あの時収益化してたら、私もこうやってドンキのワゴンセールして、ひたすらバーナム効果を並べてたかも…。」
そう思うと、あの悔しさからの諦めは、本当に間違いではなかった…と思えた。
少なくとも今の私は、誰かを依存させて、自分が味わった新興宗教への絶望に引き摺り込むことはない。