※24話がアップ出来ておりませんでした。大変申し訳ございません。
第24話
その判断、誰が説明するんですか
前話:優作は、黒川に促される形で初めて提案方針の主導を任された。全員の声を聞きながらも、最後は「全部は拾わない。でも、後で戻る可能性が高いものは残す」と自分の判断を置いた。そして翌日、先方打ち合わせも優作主導で進めることになった。
朝から、優作は何度も資料を見直していた。
決裁者確認。
役員説明前提。
共有するリスク。
補足資料の比較軸。
昨日、自分で決めたものが、画面の中に並んでいる。
社内では言えた。
でも今日は違う。
先方がいる。
田辺がいる。
黒川も同席する。
美月もいる。
佐伯も、真壁も、桐谷もいる。
自分の判断が、外に出る。
そう思うだけで、指先が少し冷たくなった。
会議室に入る前、黒川が声をかけてきた。
「中村さん」
「はい」
「今日はあなた主導です」
「……はい」
「迷ったら、誰かに預けるのではなく、判断の理由を説明してください」
優作は小さくうなずいた。
黒川の言葉は厳しい。
でも、逃げ道を消すという意味では、正しかった。
少し離れたところで、美月が資料を持って立っている。
目が合った。
美月は何も言わない。
助けない。
でも、見ている。
それだけで、優作は少しだけ息を吸えた。
オンライン会議が始まった。
画面の向こうに田辺が映る。
「本日はよろしくお願いします」
優作は頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。本日は、次回の役員説明に進めるための判断材料を整理してご説明します」
声は少し硬い。
でも、出ている。
資料を共有する。
最初に、全体の目的。
次に、決裁者確認。
役員説明前提。
比較軸。
最後に、共有するリスク。
田辺は何度か頷きながら聞いていた。
「前回より、かなり整理されましたね」
優作は、少しだけ肩の力が抜ける。
「ありがとうございます」
佐伯も少し安心した顔をした。
真壁も資料に視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
桐谷は画面の端で、補足資料を開いている。
美月は、黙って優作を見ていた。
うまくいくかもしれない。
そう思った。
その直後だった。
田辺が、資料の一部を指した。
「ただ、一つ気になります」
優作の背中が固まる。
「はい」
「このリスク、なぜ今回このタイミングで出したんですか?」
画面の中で、田辺の表情は穏やかだった。
でも、その質問は鋭かった。
「前回までは、ここまで強く出ていませんでしたよね」
優作の頭が、一瞬白くなった。
このリスクは、美月が残すべきだと言ったものだ。
昨日、優作が採用すると決めたものだ。
でも問われた瞬間、優作の視線が、ほんの少しだけ美月の方へ動いた。
美月は、動かなかった。
黒川も、何も言わなかった。
ただ、優作を見ている。
黒川が静かに言った。
「中村さん」
「はい」
「その判断は、あなたがしたんですよね」
逃げ道が、消えた。
人は、責任を持つと言いながら、
いざ問われた瞬間に、誰かの顔を見てしまうことがある。
優作は、その痛みを自分の中に見た。
「チーム内で検討した結果、必要だと判断しました」
口から出た言葉は、弱かった。
言った瞬間、自分でも分かった。
田辺は少しだけ首を傾げる。
「チーム内で、というより」
優作の胸が詰まる。
田辺は続けた。
「御社として、なぜこのタイミングで必要だと判断したのかを聞きたいです」
その一言が、真っ直ぐ刺さった。
御社として。
なぜ必要なのか。
誰が言ったからではない。
誰が心配したからでもない。
チームで検討したからでもない。
理由を問われている。
黒川は黙っている。
美月も黙っている。
佐伯も、真壁も、桐谷も、画面を見ている。
優作は、喉の奥が乾くのを感じた。
逃げたい。
「相沢が見た結果」
「リスクとして残した方がよいと判断があり」
「社内で協議しまして」
そんな言葉が、頭に浮かんでは消える。
でも、それを言った瞬間、昨日の判断は軽くなる。
優作は、息を吸った。
「すみません。言い方を変えます」
田辺が静かに頷く。
「このリスクを出した理由は、不安を煽るためではありません」
優作は、資料を見ながら続けた。
「役員説明に進める前に、後から“聞いていない”になる可能性を減らすためです」
画面の向こうで、田辺の目が少しだけ変わる。
優作は続ける。
「全部のリスクを出すと、提案が重くなります。
なので今回は、一つに絞りました」
美月が、わずかに視線を上げた。
「ただ、この一点は、御社内で判断が分かれた時に必ず戻ってくると考えました。
だから、今の段階で“リスク”としてではなく、“判断前に確認すべき点”として出しています」
言い終えた瞬間、優作は自分の心臓の音を聞いた気がした。
決断とは、正解を当てることじゃない。
突っ込まれた時に、自分の言葉で理由を説明できることだ。
それが、今、少しだけ分かった。
田辺はしばらく黙っていた。
その沈黙が長い。
優作は、手元の資料を握る。
やはり強すぎたか。
出さない方がよかったのか。
黒川の言う通り、判断が遅れる材料だったのか。
不安が一気に戻ってくる。
その時、佐伯が口を開いた。
「補足してもよろしいでしょうか」
優作は少し驚いて、佐伯を見る。
田辺が頷く。
「お願いします」
佐伯は少し緊張しながらも言った。
「決裁者確認も同じ意図です。
確認項目を増やしたいのではなく、後から戻らないために入れています」
佐伯の声は震えていた。
でも、出ていた。
真壁も続いた。
「役員説明前提であれば、ここを曖昧にすると、社内説明で止まる可能性があります。
なので、今回は事前に確認しておきたいです」
桐谷も資料を開きながら言った。
「補足資料も、細かい数字ではなく比較軸に絞っています。
判断を増やすためではなく、判断を早くするためです」
最後に、美月が静かに言う。
「リスクを増やすためではありません。
判断を前に進めるために、一つだけ残しました」
優作は、全員の声を聞きながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
昨日まで、少しずつ消えかけていた言葉が、
今、外に向かって出ている。
完璧ではない。
でも、チームの言葉になっていた。
チームで決めたことでも、
前に立った人間が“自分の判断です”と言えなければ、
その決定は一気に軽くなる。
そして今、優作が一度引き受けたからこそ、みんなが続けた。
田辺は、少し考えたあとで言った。
「意図は分かりました」
優作は、息を止める。
田辺は続ける。
「ただ、この表現だと少し強く見えるかもしれません」
優作は頷いた。
「はい」
「リスク、という見出しではなく、“事前確認事項”として見せる形にできますか?」
美月がすぐに資料へ目を落とす。
優作は答えた。
「できます」
「その方が、こちらとしても社内に出しやすいです」
優作は、ようやく少しだけ息を吐いた。
通った。
いや、通ったわけではない。
修正は入った。
でも、判断そのものは否定されなかった。
勝ったわけじゃない。
ただ、前に進んだ。
そのくらいが、今は一番リアルだった。
打ち合わせは、その後も続いた。
田辺からは、細かい修正がいくつか入った。
決裁者確認の聞き方。
役員説明時の資料順。
補足資料の見出し。
優作は、そのたびに一度受け止め、必要なところはその場で判断した。
迷う場面もあった。
でも、すぐ誰かに預けなかった。
「そこは一度持ち帰ります」
「これは本日中に修正します」
「この表現は、御社内で使いやすい形に変えます」
自分の言葉で返す。
そのたびに、少しずつ足が地面につく感じがした。
打ち合わせが終わる頃、田辺は言った。
「では、この方向で次回の役員説明前確認に進めます」
優作は頭を下げた。
「ありがとうございます」
画面が切れた。
会議室に、静かな息が戻った。
黒川が最初に口を開いた。
「途中の返答は弱かったです」
優作の胸に、また少し刺さる。
「はい」
「“チーム内で検討した結果”は、説明として弱い。
判断の理由ではなく、判断した過程を言っているだけです」
その通りだった。
優作は頷く。
「ただ」
黒川は続けた。
「言い直した後は、悪くありませんでした」
会議室が少しだけ静かになる。
黒川なりの承認。
甘くはない。
でも、見ていた。
「判断は、言い切った後に試されます。
次は最初から言い切ってください」
「はい」
優作は答えた。
黒川の言葉はまだ厳しい。
でも今日は、その厳しさの中に少しだけ違うものがあった。
切るためだけではなく、鍛えるための言葉。
そう感じた。
会議室を出たあと、美月が隣に来た。
「中村さん」
「はい」
「今日、最初に私を見かけましたね」
優作は固まった。
「見てましたか」
「見てました」
「……逃げようとしました」
「はい」
美月は淡々と頷いた。
それが少し痛い。
でも、美月は続けた。
「でも、戻りました」
優作は、小さく息を吐く。
「戻れましたかね」
「戻りました」
美月は前を向いたまま言う。
「今日は、それで十分です」
その一言で、優作の胸が少しだけ軽くなった。
完全にできたわけじゃない。
最初から堂々と言えたわけでもない。
逃げようとした。
でも、戻った。
今は、それでよかった。
佐伯が近づいてきた。
「中村さん」
「ん?」
「今日、途中で言い直したところ」
「うん」
「少し、ほっとしました」
優作は佐伯を見る。
「ほっとした?」
「はい。中村さんでも、一回弱い言い方になるんだなって」
優作は思わず苦笑した。
「そこ?」
「はい」
佐伯は少しだけ笑う。
「でも、言い直してよかったんだって思いました」
その言葉が、優作には思った以上に響いた。
完璧に言えなくても、言い直せる。
一度逃げかけても、戻れる。
それを見せることにも意味があるのかもしれない。
真壁が横から言う。
「俺も、今日は助かった。先方の温度感、あそこで言っておいてよかった」
桐谷も言う。
「比較軸に絞ったのも、結果的に見やすくなりましたね」
美月が短く言う。
「全員、今日は言葉が出ていました」
その一言に、少しだけ空気が戻った。
その日の夕方。
田辺から追加メールが届いた。
本日はありがとうございました。
次回は、御社内で誰がこの提案を最終的に推進するのかも確認させてください。
優作は、その一文を見て手が止まった。
御社内で誰が推進するのか。
つまり、今度は資料ではない。
この提案を、社内で誰が背負うのか。
誰が中心となって進めるのか。
誰が判断し、誰が説明し、誰が最後まで動かすのか。
真壁がメールを見て、低く言った。
「来たな」
佐伯も黙る。
桐谷がコーヒーを置いた。
「次は、資料じゃなくてこっち側ですね」
美月は、優作を見る。
黒川もメールを確認し、静かに言った。
「次は、社内の責任構造を出す必要があります」
責任構造。
その言葉が、重く落ちた。
優作は、画面を見つめたまま動けなかった。
今日、優作は判断の理由を説明した。
でも次は、もっと大きい。
誰が前に立つのか。
誰が支えるのか。
誰が最終的に責任を持つのか。
それは、チームそのものを問われる話だった。
優作は思う。
決めることからは、もう逃げられない。
でも、ひとりで背負えば、また壊れる。
チームで決めるとは何か。
チームで責任を持つとは何か。
その問いが、次に来る。
そして今度こそ、曖昧なままでは進めない。
第25話へ続く。